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#007 君はアロハ醤油を本当に知っているか(前編)

ハワイイの人の食生活に欠かすことのできないアロハ醤油。

1ガロン(約3.8リットル)入りのアロハ醤油を買って帰国しました

このアロハ醤油って、日本で醤油という場合にイメージする、微生物を介した発酵醸造とはまったく違っており、その発酵過程を経ることなく化学的に製造されているんです。

⁡日本では、醤油というものをJAS法で次のように定めています。
・大豆を原料に使用し
・醸造などの製法区分(詳細省略)に則って製造されているもの

しかし、この日本ローカル定義とはぜんぜん別のShoyuもある、ということです。優劣の話ではなくて。

具体的には
・小麦粉から抽出したタンパク質(グルテン)を 塩酸で加水分解し
・これを水酸化ナトリウムで中和して アミノ酸液(つまり旨味液です)を作ります。
・で そいつを塩水で希釈して
・そして甘味を加え
・さらにカラメル色素で整えたもの
が、ハワイイで広く親しまれているアロハ醤油。日本の醤油とはまったく違っていますよね。
⁡⁡
そこに至るには歴史的経緯があって、
「ハワイにおける日本酒・味噌・醤油の歴史」という論文(1978年)に紹介されています。

その 1ページ目のみ 一部掲載。全文はリンクからご確認ください。

執筆者の二瓶孝夫さんという人物は学者や研究者ではなく、「ホノルル酒造製氷(創業1908年)」 という、日本の国外では最も古い酒造会社において酒造技術者として従事され、副社長を務めた方でした。
1994年に亡くなられています。

かような先人が残してくださった貴重な文献情報に後世のわたくしが簡単に(ま 実際には紆余曲折を経てたどり着いたのですが それでもインターネットのない時代に比べれば・・・)アクセスできるのですから、ありがたいことです。

「古い資料を朽ち果てさせるに忍びず、記録に残しておきたい一念から」ご執筆されたとのこと。
分かります。わたくしもこの文献に触れて同様の感慨を抱きました。

ホノルル酒造製氷は 1986年に宝酒造によって買収されているものの、今も会社としては存続。
「製氷」が取れて、Honolulu Sake Brewery Co., Ltd. に社名変更されているらしい。

そしてこの酒造会社、戦時中に日本酒の製造が禁じられたことから醤油の製造に着手し、この論文が書かれた時点ではハワイイ最大の醤油醸造会社となっていた由。なるほどそれでこの論文というわけか。さしずめ一種の使命感。

「ダイヤモンド醤油」というのが同社の往時のメインブランドですが、現在は、醤油の製造事業はすでに廃業となっています。

とこのように、いま見るハワイイは結局、いまという瞬間的な断面をたまたま目撃しているに過ぎないわけなんですが、そこに至るプロセス(つまり過去の歴史のさまざまな断面)ってのが、あれこれいちいち興味深い。

歴史っていう科目が好きではなかったわたくしも、自ら抱く興味の対象さえあれば、誰に頼まれるでもなくこうして一生懸命に調べたりするものなんです。
特に日系ローカルメーカーの歴史はそのまま日系移民の歴史だったりするので、いま現在のハワイイの混沌とした生活文化にどのようにして融合してきたのかという経緯を知ることにもつながります。

いや横道にそれました。
アロハ醤油が化学製法となっていることの歴史的経緯の話に戻りましょう。

明治元年、日本からの最初の移民たちとともにハワイイに初めて味噌や醤油が渡ったということなのですが、以降しばらくは、日本からの輸入頼みとなります。
けれど悲しいことに、船で届いたものが腐敗していて用をなさないこともあったらしい。

その後、太平洋戦争であらゆる日本製品の輸入がストップしたことを背景に、醤油や味噌の製造業が誕生。
それがあまり資本を要しないこともあって、多くの地元メーカーが雨後の筍のように起業された、とのこと。

このような中で、化学製法を採る醤油メーカーも現れました。というのは、普通の醤油は物質(原料)調達の問題のみならず醸造を要することから短期間での増産に適さないためです。

ハワイイにおいて醤油メーカーが乱立した醤油バブルの時代には、「微生物による旧式の醸造方法より化学方式の方が先進的かつ衛生的である」というイメージ戦略での広告アピールがなされていたそうです。

この文献で、面白いエピソードが紹介されています。以下引用しましょう。

マーケットでは醸造醤油もアミノ酸醤油も同じ醤油またはソーイソースの名称で売られていることから、醸造醤油製造業者から規格を設定する案が出され、州の衛生局の食品部が中心となり検討、製造方式と含窒素量をレッテルに表示する案が提出され、昭和34年6月 公聴会が開かれた。
醸造醤油製造業者とアミノ酸醤油業者との利害が絡まって激論となり、結局は醤油の規格を設定できる権威者もなく、また消費者も醤油に関する知識もなく法案とならずに消え去った。

ハワイにおける日本酒・味噌・醤油の歴史

引用ここまで。
これ、いまでもそうなのかな? たぶんそのままなんでしょうね。

⁡化学醤油は発酵醸造ではないため、生産効率に優れ、結果として安価なのがメリットです。
とはいえ物資も潤沢な現在では、低コストで生産することだけを目的にメーカーは化学製法を採っているのではないと思います。

消費者は製法そのものに対するこだわりなどなく、単にその風味が愛好され、市場競争でこちらが大きく優勢になり、主流のポジションを得ることになったのでしょう。
ハワイイの人にとっては「慣れ親しんだこの風味こそが醤油」なのであって、メーカーはそのニーズに応え続けているということです。

現在でも健在なアロハ醤油やクラブ醤油など少数のメーカーは、こういった歴史的淘汰を経たあとの生き残りということになります。

クラブ醤油はハワイ島のKTAスーパーストアでのみ販売されています

かたや日本においても、戦時中の1940年頃には極端な物資不足による困窮で、やはり化学製法による代用醤油とか、醤油液にアミノ酸液を混合して作られたものなどが、市場に出回るようになったそうです。

この、醤油液にアミノ酸液を混合して作られているものに関しては、いまも主に西日本地域で好まれている「甘い醤油」というのが相当します。
物資不足が解消されてからも、「地域の味」として愛され、むしろ主流として残ったということで、このへんはハワイイの事情と似ており、興味深い点です。

考えてみればもともと日本からハワイイへの移民は西日本地域の人が多かったわけで、そうすると甘めなアロハ醤油が市場で生き残ったのは、そういう味覚的嗜好の部分にも要因があるのかもしれませんね。

ちなみに我が家では、「目玉焼き乗せごはんの調味用」として、ハワイイで買ってきたアロハ醤油をたいへん重宝しています。
慎重に垂らしたりせずラフにバシャバシャかけても、塩味が強くなりすぎてしまうことがないので安心。

ビンに直接プリントされた旧タイプの卓上ビン。現行品はラベル巻きです。

最後に。
じつはもう一件、「醤油と日本人移民-ハワイ・北米の場合-」という、西南学院大学の教員である大原関 一浩(おおはらぜき・かずひろ)氏による2020年の論文も存在するんですが、長くなるのでそちらの紹介は割愛します。
リンク先のPDFをダウンロードしてご一読ください。これもたいへん面白いですよ。

その 1ページ目のみ 一部掲載。全文はリンク先からダウンロードして読めます。

後編に続きます。よろしければお付き合いを。

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