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#011 フラガールの謎と、文化的グルーミングについて

フラガールを商標に使っているハワイイのローカル商品として、例えば思いつくのが上の写真。
ワイアルア・ソーダワークスというブランドの、清涼飲料のラベルです。

それから、
ローカルスーパーで見かけるハワイイ産の乾麺「HULAそうめん」や「HULAうどん」などで知られる、MODERN MACARONI社。
乾麺に限らず、このとおり、片栗粉やきな粉も作っているんです。つまり、製麺業というより粉もの全般業ということなんでしょうか。⁡

この他に「モチ粉」があって、左のパッケージと同じテイストでした。

オアフ島カリヒにあるこの会社、わたくしの調査の経験上この手のローカルメーカーによくあることで、ホームページやSNSアカウントが存在せず、詳細な情報を知る手段がありません。

いや、今を遡ること5年前に、「HULAそば」を新商品としてラインナップに加えてくれないか?との提案メールをこの会社に送ったことがあるので、その時点ではホームページおよび問い合わせ窓口が存在していたはずなんですよ。どういう事情かそれが消えてしまっている。
あ。ちなみにそのメールには何の返答もなく、黙殺されましたけどね。

さて。ここからが論点①。
気になるのはこのパッケージのイラストです。拡大掲載します。⁡

どうですかお客さん

右のきな粉の方は、そうめんやうどんのパッケージにプリントされているのと同一の図柄のイラストですが、左の片栗粉の方とじっくり見比べてみてくださいな。

ヤシの木の有無のほかに、フラガールの手の角度や足の開き、いろんな装飾の有無、スチールギターを弾いていると思しき隣の男性の体格、タロの葉の形などなど、あちこち相違点だらけです。ブランドのアイコンであるはず、なのにいったいどういうことなのか。

きな粉のパッケージは、そうめんやうどんのそれとデザインテイストの共通化の意図が見えますが、その一方で片栗粉のパッケージはずいぶんと古臭いデザインですよね。そこが謎の鍵なのかもしれませんけど、なにしろ糸口がつかめない。
⁡当のこの会社にも、そんなことを気にしている者など誰ひとりおらず、そもそも経緯が分かっている者さえいないのかもしれません。

こんな発見、いつか解明に至る日が来るんでしょうかねえ。こうして旅の度に、宿題ばかりが増えていく。

⁡仕方がないので論点①はここで棚上げして、論点②に行きましょう。
いや実は、ここからが今回の本題なんですよ。


ワイアルア・ソーダワークスを含むどのイラストにも共通するポイントがあって、それは、フラガールが腰ミノを着けたスタイルであることです。

はるか遠い南洋には、若い娘が腰ミノ姿で踊るパラダイスがある
という、西洋社会における一方的で勝手なオリエント幻想(無神経で都合のいいロマンティシズムやエキゾチシズム)的なイメージに、それを抱かれている側からむしろ擦り寄っていることの、矛盾が見て取れます。

単にこういったイラストにとどまらず、いわゆる観光フラっていうものや、さらにはワイキキに代表される観光地としてのハワイイそれ自体が、積極的にこうした楽園概念と手を取り合うことで成り立っているのは、言わずもがな。

しかしここで複雑だと感じるのは、ソーダの方はさておき、HULA片栗粉やきな粉の方は観光客向けではなくローカル住民に向けてのものだということなんです。

例えるなら、日本のメーカーが日本でゲイシャガールとフジヤマのイラストが描かれた食品を日本人向けに(しかもパロディやキッチュや自虐としてではなく)売っているようなことでしょうか。

期待されるイメージをそのまま受け入れて再生産することの、奇妙さ。

この倒錯やパラドックスは、ある種の懐柔、つまり文化的グルーミングの成果とも言えます。
さらには、ハワイイの住民(先住民系だけではなく世界各地からの移民をルーツとする人々の全体)の中での、アイデンティティの自覚性やその濃淡の問題も加わっていると考えられ、中にはこういった迎合に違和感を覚えている人もおられることでしょう。

ここに挙げたのはあくまで代表サンプルで、この手のフラガールのイラストをアイコンに使っている商品はもとより、フラガール人形そのものが、市場に相当な数で存在するものと推察されます。


最後に、論点③。
ハワイイから飛びますが、日本で見かける「フラ印」のポテトチップスやクッキーは、HULAそうめんやHULAうどん、片栗粉やきな粉とはまったく無関係の別の会社であることも、この際、整理しておきましょう。

スチールギターの男性はいませんね

一見したところ混同しそうな、よく似たイメージのイラストが使われておりまして、やはり腰ミノ姿。

歴史的経緯はたいへん興味深いものです。以下、販売元の株式会社ソシオ工房のサイトから引用します。

このブランドは、濱田音四郎氏(明治44年生まれ)が、終戦後、ハワイから帰国し、設立したアメリカン・ポテトチップという会社が製造して、"フラ印"として販売したのが始まりです。

終戦後、ハワイから帰国し、故郷で数年過ごした後、上京しました。当時の食糧事情のひどさに、驚き、ハワイにいる時に作り方を覚えたポテトチップスを製造・販売する会社の設立に努力しました。その際、銀行に何度も融資の相談に行き、「君の健康な体を担保にお金を貸す」という今では、考えられないスタートを切りました。

アメリカン・ポテトチップスを設立した昭和20年代当初は、アメリカ軍のキャンプに納品していました。当時の日本人にとっては、ポテトチップスのどこがおいしいのかと見向きもされませんでした。

氏がビアホールにアメリカの友人と一緒に行き、最高のおつまみであることを一生懸命説明してまわり、口コミで評判になりました。
また高級ホテルのメニューに採用、スーパーマーケットとの取引が成功と事業が少しずつ軌道に乗り始めました。

昭和30年代は高度成長経済と食の欧米化の波にも乗り、ポテトチップスもスナックとして多くの日本人に知られるようになりました。
忘れてはならないこととして、ポテトチップスの製法を多くの方に教え、その方々がポテトチップスを販売することで広く普及しました。そして、現在、ポテトチップスは大人から子供までに好かれるスナック菓子に成長しています。

濱田氏は、事業以外でも様々な活動・活躍をされた方で、昭和23年「日本ハワイ協会」の設立に参加(昭和33年には第五代会長に就任)し、ハワイと日本の交流に力を尽くしました。大相撲の初の外国出身の関取である高見山を日本に紹介したのは、濱田氏です。

Hula's ブランドについて(株式会社ソシオ工房)

フラガールのイラストが目印になっていることの理由に、ポテトチップス事業設立者の濱田氏がハワイイ帰りであった事実があるのは間違いないでしょう。

しかし、この「フラ印」のポテトチップスが、設立当初の昭和20年代にアメリカ軍のキャンプに納品されていたという点を踏まえると、さらに強い理由が思い浮かびます。
それは、次のようなもの。

大戦中、アメリカ軍にとってハワイイは、物資や弾薬類の補給基地であると同時に兵士の一時保養場所でもありました。
これと同じタイミングで、特にアメリカ本土に向けての戦略的な観光化が進みつつあったハワイイのアイコンであった腰ミノ姿のフラガールを、アメリカ軍にポテトチップスを売り込むための格好のキャラクターとして採用した、と考えられるわけです。

またその一方で、文化的グルーミングが、当事者であったハワイイにとどまらず、さらに離れたところまで波及していることを表すものでもあります。

センシティブでもあるはずの対象を、その当事者から物理的距離を置くことによって、よりカジュアルに使用しているという点で、このあいだ報告したアジア的なフォントのステレオタイプの例にも通じていると言えます。

このような文化的グルーミングの構造においては、懐柔している側・されている側の双方が自覚を持ちにくいせいもあって、あまりにも当たり前のこととして受け入れてしまっているのが実情でしょう。

実際のところ、世界はこういうものだらけであるのかもしれません。

その改善は、結局のところ教育によって、世代に亘る時間をかけていくことでしかなされないのだろうと思いますが、難しいでしょうね・・・。

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