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拝啓 松村北斗様 貴方を好きになれて幸せです




概念  —もう戻れないほどに溺れた

「沼る」という言葉の意味を身をもって体感したことが人生であまりなかった。

「自担」は存在するし、その人について「いつ頃沼ったの?」などと人に聞かれたら「その人を好きになった時期」を探って答える。
だが、私の中で「沼」という言葉のイメージは「思ってもいなかったところから急激にその人のことを底なしに好きになってしまって、好きになる前どうやって生活していたかわからない」という状態になることだと思っていた。

私にも「自担」がいる。けれどその人を好きになる時すごく段階的に時間をかけて好きになっていったから、急転直下に好きになって抜け出せない、というような出逢い方をしたことはなかった。(「自担」にカギカッコをつけているのは本当はこの言葉より「すきなひと」を使いたいのだけどオタクとしてではなく捉えられるのが不本意なので仕方なく使っている)


だからこそ、松村北斗さんの沼に転がり込んだ今が楽しくてしょうがない。

どうしたってこれは「沼」なんだと感じるほどの興奮と感動と多幸感に溢れている毎日を残しておきたくて、誰かに話したくて、ここに記録することにした。

前述の私の「自担」がSixTONESさんと同じ事務所に所属している方たちだからだと思うが、SixTONESさんに対しては「好き」というほどの感情はないけれど「好意的」ではあった。「なんかオラオラしてるけど喋らせたら面白い人たち」という印象だけ持って、自分がハマることはないんだろうなぁと思っていた。

その印象通り、最近までは「曲好きだしテレビ出てたら見るけど取り立てて好きなわけではない」と思っていた。自ら遠ざけていたわけではないのだけど、高校にいたSixTONES担の友達が結構みんなThe一軍女子が多くて「きっとSixTONESさんはああいうテンションの方が推す人たちなんだ…」と勝手に感じていたのかもしれない。

長めの前置きを経て、ここからが本題だ。


ことば  —"そういえばこないださ""あ?"

ここまでだらだら書いてきたような人間が松村北斗さんの沼に足を踏み入れたきっかけ、それは「裏被りラジオ」だ。

私は松村北斗さんとなにわ男子の西畑大吾さんがW主演を務めた「ノッキンオン・ロックドドア」の緩い視聴者だった。
諸々の都合でリアタイもできないし、録画で観ながら感想を呟くほど熱心な視聴者でもない。
ただなんとなく観ていたけれど、展開も面白いし、時間も30分なので「さぁ観よう!」と腰を据えて時間を確保しなくともご飯を食べながら観れるのもありがたいな~程度の認識で、松村北斗さんに特別の注目をしていなかった。

そんな私が「御殿場倒理」ではなく「松村北斗」を意識したのが、2023年8月13日日曜日。
朝起きてTwitterを開くと、「裏被りラジオ」がおすすめトレンドに入っていた。何気なくタップすると#SixTONESANNとある。
あ、ストさんの…!と思い詳細を皆さんのツイートから探った。あ、ノキドアか!てことは北斗さん?などと思いながら見ていた。なんだか楽しそうな空気に導かれるように軽い気持ちで切り抜きを再生(ごめんなさい)した。

凄かった。爆笑だった。

田中さんと松村さんはドラマを無音で見ているからその中での緊迫感や詳細な状況が分からないわけで、その自由さを最大限使いつつ各所の対応によって問題はなかった「裏被り」という事実だけでこんなに盛り上がれて「まぁ裏被っていますけど今日も普通に」なんてもったいないことをしない。

そのエンターテインメント精神にやられてしまった。それでとにかく全部がすごかった。

まずテンポ感がすごい。
アイドルのラジオは少し聴くが、良い意味で皆穏やかに、思考しながら話すイメージがある。公共の電波に乗るモノという意識が強いのだろうし、それは良いことだ。
言葉尻捕らえてすぐ大騒ぎになる世の中、アイドルには少しでも健やかであってほしいから。

でも彼らは違うベクトルで健やかだった。

本当にテンポが良い。サークルの友達と私の会話の100倍リズミカル。考える間もないようなスピード感で進んでいる。
というか、そんなに「考えている」という感じではないな?どちらかというと反射で出てくるような速さ。にも関わらず、それに対するもう一方の反応速度も半端じゃないしその反応が適当じゃない。

その場をあまりにリアルに伝えるトークを本人たちが楽しみながらやっている、というのはとてつもないことで、だけど楽しんでいるのがこちらに十分すぎるほど伝わってきていて、この上ない健やかさだ。

それで二人とも信じられないくらい頭の回転が速い。どうなってんだ?ポンポン出てくるツッコミワードやボケワードがあまりに秀逸で、アイドルの深夜ラジオだと忘れてしまいそうだった。

SixTONESさんに対する認識を即刻改めなければならなかった。
「なんかオラオラしているけれど喋らせたら面白い人たち」から「喋りがとんでもなく面白いけどテレビではオラオラしている人たち」へと脳内辞書の編集を行った。
そこで満足し、その後生活がバタバタしていたこともありしばらくSixTONESさんのことをじっくり考えることはなかった。

ただ今の時代すごいな~と思ったのだけれど、私としては「一度ラジオの切り抜きを聴いただけ」のつもりだったのがインターネットというかAIというかには「こいつはSixTONESに興味があるようだ!こいつを喜ばせて我々に張り付かせるにはSixTONESのネタを提供すればいいんだ!」と思われたようで、私のインスタ、Twitter、時折開くTikTokに徐々にSixTONESさんが出てくる割合が増えていった。

私ももう彼らが面白い兄ちゃんたちだと知ってしまっているから、なんの抵抗もなく世間から提供されるすべてのSixTONESさんを受け入れていた(SixTONESさんはCookieではありません)。AIの思う壺だ。

最初は基本的にラジオの切り抜き(本当にごめんなさい)をめちゃくちゃ漁っていた。無意識に。一人ユニバの話とか日本アカデミー賞の話とか北斗さんのフリートークを聴きまくった。

どれもハマってしまった。

私の人を好きになる基準の一つが「ワードセンス」なのだが、ここまでどストライクで自分の好みの言語感覚を持っている人を見たことがなかった。
それほどまでに北斗くんが選ぶ一つひとつの言葉が刺さった。親しみやすいけれどなかなか出てこない・選ばない・組み合わせない言葉を使う人で、そのすべてのハマり方が芸術的だと思った。

そして「ほくじゅり」だ。
北斗くんのワードセンスに負けず劣らず巧みに言葉を操る樹くん、お互いが適度に分かりづらいボケをして、相手は即座に気づいてこれまた秀逸なツッコミワードを持ってくる。地頭が良すぎる、キャラやクラスでの立ち位置は全然違うのになぜか仲が良い同級生同士のトークが、ずっと聴いていたいと思うものだった。

それこそスーパーボーイじゃないけれど、ファミレスで隣の男子大学生二人の会話をそんなつもりはなかったけど聞いてしまったような、そしてそれが面白くてなかなか席を立てずに無駄にドリンクバーのお代わりをして居座りたくなるような、そんな聴き心地だった。
今度フルでラジオ聴いてみようと、やっと思った。

そこで初めて週ごとに来るメンバーが違うことを知った。確か初めてフルでradikoで聴けた回は京本さんだったはず。様子がおかしくて最高だった。
部屋で嫌々掃除しながら聴いていたけれど、終わるころには表情筋が疲れていて部屋は汚いままだった。


感性  — I can't someone else oh, I know, I know

ここである疑念を抱いた。
「SixTONESさん、もしかしてみんなちょっとおかしいの?(めちゃくちゃ褒めてる)」と。

これはYouTubeとか見たほうがいい案件だな?と沼の方角を察知し、どれから見ようかな~と思っていた時、「北斗さんはinfp-t」という情報を仕入れた。

世界で一番どうでもいい情報だと思うが、私もinfp-tだ。なんというか、芸能人にはあまりいなさそうな性格だなと自分でも思うぐらいには結構"陰"寄り、と言うと語弊が生まれそう(というか陽と陰とかいうカテゴライズがそもそもややこしい)だが、めんどくさい人間だし、実際そういう人たちがinfpだと思っていたので「芸能人にもいたんだ…!」と絶滅危惧種発見した気分。

そこでとりあえずmbti診断回のYouTubeを観た。
ジェシーさん、慎太郎さん、こーちさんがEなのも、北斗さんがinfpなのも、ファンというほど彼らを知らない当時の私からしても納得だった。

そしてそこで私に突き刺さったのは「自分の子供が頭のいい子であるよりも、優しい子に育って欲しいと思う」という質問で20代のアイドル6人が真剣にまだ見ぬ自分の子にどういう人間になってほしいか議論するという名場面での

「優しすぎて人のことで毎日泣いて悲しむ子どもが産まれるんだったらAIみたいな子どもでいい」

という北斗さんの言葉だった。


メンバーには「いやだ~」と言われていたし本人も「はい、怖いこと言っちゃった」とおどけてみせていたが、この感性を持っている人がいるグループなんだ、という事実に私はとても嬉しくなった。考え方に正解も優劣もないけれど北斗さんのこの思考は間違いなく最上級の愛のひとつだと思ったから。

北斗さん、考え方ももしかしたらどタイプというかいつも思っているけれど言語化出来ないものをサラッと表現してくれる人なのかも…?と思い俄然興味が湧いてしまった。(沼まで秒読み)

それを観てから、私のSNSには北斗くんがバラエティに出ていた時の切り抜き(土下座)が大量出現し始めた(もはや自分よりSNSのおすすめのほうが自分の潜在的な興味を把握してそうで怖くなってきた辺り)。

トークイーンズ、あざとくて何が悪いの?など、所謂「こじらせトーク」と世の中には分類される彼のトークを観て、自分は超一般人であのような顔面やセンスやその他諸々北斗くんが持っているような素敵なものを持っていないから絶対に口には出来ない価値観ではあるのだけど、同じようなものを持っていてそれを発揮して「めんどくさい」と言われている北斗くんがすごくニンゲンでとてつもなく良かった。ちょうどその時期に放送されたおかえりこっち側の集いも然りだった。

ずっと、言葉選びとそのよどみなさが圧倒的だった。そして人間としての密度がとんでもなく濃いひとが、人生としてアイドルを選んでいるという事実。
上手いこと言えないけれどたぶん私はこの人のことを好きになる、というかもう既に好きなのかもしれない。そう思い始めた。


まとめて、愛  —まるでhigh like "sugar high"

そしてそれと前後して公開されたYouTubeで「9マス鬼ごっこ出演交渉アポなし電話」をしていて(もう字面で訳分かんないけど)、そこで樹くんが私の「自担」に電話をかけていると聞きつけ、覗きに行った。

樹くんのその時のイメージは、オラオラ要素+ラジオでのトークうますぎマン+意外とイジられキャラもいける、程度だったが、私の「自担」と話す樹くん、あまりに後輩力が高くて…。
私が言うのも変な話だが、「自担」はそこまで後輩とガッツリ絡んだり仲良くなったりというのが少ない(のか表に出ていないのか)タイプだ。しかも樹くんとのエピソードなんて1、2回ほどしか聞いたことがない。
その彼にそこまで心を開かれているのか…?という衝撃と嬉しさで、どうかこの夢企画が実現しますようにと思いながら、9マス鬼ごっこの予習に向かった。

思えば、ここが沼への本格的な入口の前に立った時だったのかもしれない。

現在当方一人暮らし1年目であり、テレビも夏~秋の事務所騒動で嫌気が差してあまり見なくなり、ご飯の時無音は嫌だなと思えばYouTubeを適当に流すか録画してある音楽番組を何度も観るか音楽をかけるかして凌いでいた。そんなわけで一人の部屋で声を出して笑い転げる、なんてことは基本的に皆無だった。

だが、9マス鬼ごっこを観ながら気づけば声を上げて笑っていた。

なんというか、説明したり言語化したりする必要が全くない面白さだった。何がこんなに面白いんだろうとしばらく考え込んでしまうほどで、だけど答えが出なくてまたそれが面白かった。

ファンになった今でも、SixTONESの何がこんなに面白いのか分かっていない。ただただ面白い。

男子校チックというか、本当に仲が良い男子6人が集まってわいわい遊んでいる、というその空気が好きなのかもしれない。当方長らく女子校だったので憧れも込みで。

全員の面白いことへのアンテナやスイッチが別方向にあるのに、いや別方向だからこそなのか、1つの「面白い」がちょうどよい収まり方で見事に完成している。
あとは「真面目にふざける」ことに関してのプロで「とんでもない数のボケを転がしているのに誰かが大抵それを拾って投げ返し、放置する時もそれが面白く料理される過程を辿らせる」ことが出来る頭の回転の速さを漏れなく全員が持っている、というもはや奇跡のメンバーがそろっているところもすごい。


オンガク  — I can be myself When we sing, when we're here

ここまで「喋りがとんでもなく面白いけどテレビではオラオラしている人たち」の認識のうち「喋りがとんでもなく面白い」の部分を補強し、少し編集して「なんかずっと見ていたいくらい面白いけどオラオラもしている人たち?」と疑問形になってきた。
面白部分にフォーカスしすぎてパブリックイメージのオラオラを見失い始めてる。

これはいけないと思って曲を聴き始めた。
高校まで一緒だった京本担の友達がアルバム(1STとCITY)を貸してくれてスマホに取り込んでいたことを思い出し、早速聴いた。

借りたての時にも一度聴いたのだが、SixTONESさんへの解像度が高くなかったからか、その時は真剣に聴いていなかったからか、あまり響いていなかった記憶があり、ハマれるかな…と一抹の不安を抱えつつ再生した(もうハマりたいという潜在的な意思が溢れ出している)。

全然ハマれた。好みど真ん中だった。

イメージ通りのオラオラもしっかりあってそれも超似合うし、よく聴くと「ここ1か月くらいで私が持ち始めたSixTONESという概念が歌うにふさわしすぎる」歌詞のものが多くて、そのストーリー性みたいなところまで含めてめちゃくちゃ良かった。穏やかな曲、胸がきゅっとなる切ない曲、イマドキに刺さりそうな曲、明るめの曲、夜に合う曲、バラード曲、他にもジャンルが数多あって、だけどそれが所謂「そのジャンルの曲」になっていない。
強いてジャンルをつけるならば「SixTONES」としか言いようのない曲たち。

アルバムを2枚聴いただけで、どれだけ彼らが音楽が好きで、そこにかける熱量が大きいのかがひしひしと感じられた。

音楽とそこに向く姿勢まで好きなんじゃこれはもう沼へ沈むのは避けようのないことなのでは…と思いつつ、いやいやさすがに「自担」にはならないからという謎の意地を持って毎日曲を聴いていた(#時すでに遅しを説明するのに使っていいよ)。


星  —歴史に残る数人より 君の景色に映る一人がいい

この意地が崩壊するまであと3段階あるのだが(多いって)、一つ目は慣声の法則のDVD発売に際し公式Instagramに上げられたリールだった。

私のインスタ、本当に優秀で、もうこの頃には「自担」を差し置いて北斗くんの動画や写真ばっかり流してきてて(「既に沼っているのでは?」「違います」というやり取りを脳内で100回はした)、その中で公式のリールも流れてきて。

個人のまぁ言ってしまえばライブでの名場面集みたいなリールの北斗くんver。
ここまで不自然とも言えるほど北斗くんのビジュアルに言及してきていなかったけれど、これはわざとでもなんでもなく本当に彼のお顔の造形についてそこまで意識していなかったから、という訳であり意識していないからそこに「好みかそうじゃないか」という尺度は現れていなかった、というだけだ。

だがそのリールは、北斗くんの歌って踊る姿がなかなかにどアップで映し出される時間が続くもので、どうしたって「アイドル・SixTONES・松村北斗」を浴びてしまう。

無心で20回ほど観た。

1回のライブで髪型やサングラスなどでここまで印象を自在に変えてきて、全部がパズルの最後の1ピースをはめた時の感覚に近い、「これだ」と思うような完璧さで、どうしようかと思った。
お顔の造形も勿論好みだということに気づいたが、それ以上に、纏う雰囲気が好みすぎた。

纏う雰囲気と、パフォーマンス。

これがあまりに真っすぐ私を射抜いてきた感覚。
なんだろう、なんというか陳腐な言葉じゃ説明出来ないような何かを北斗くんに感じた。
強いて言うなら星なんだと思った。輝きと翳り。夜の姿と昼の姿。常に自分が輝いていることを知っているような、それでいて時折無防備な翳りを見せてくる、けれどそれすらも輝いて見えてしまうアンビバレント。眩いのにあたたかい、実際にはそこに在り続けるのに夜が明けたら消えてしまうとすら思える儚さ。あまりにも星のひとだ。

パフォーマンスも何が好みかと聞かれても困る。こういう時にこういう言葉を用いるのはズルだと知っているが、「好きに理由なんてない」から、だ。どこがとか何がとかじゃなくて、もうただ好きで、ずっと見ていたい、そう思わされた。


驚くべきことに、まだこの段階では沼に腰まで浸かっていることに気が付いていなかった。その状態の私を後ろから突き飛ばして沼に頭まで浸からせて息が出来ないくらいにしてやろうとしてきたのが、Good Luck!だ。

これも本当に土下座案件だが、インスタで流れてきた「この最高の雰囲気を纏った北斗くんが樹くんに『北斗!』と呼ばれラップパートを代わりにやる」というどデカ「ほくじゅり」を観てしまった。これまた何が好きなのかと聞かれたら困るのだけど、本当に好きすぎて、1時間見てた(ガチ)。

この時にはもう静かな夜ごはんのお供はSixTONESのYouTubeだったし、朝メイクしながら聴くのはSixTONESの曲だった。

あぁきっとこれは抜け出せない沼に足を踏み入れたのだろうな。
やっとそう自覚して、それを伴って「キリエのうた」を観に行った。

仕草  —消えそうな 愛の行方はどこだか

演技をする松村北斗さんは何食べ、すずめで観ていたたけれどあまり意識していなくて、ノキドアでしかきちんと観たことがなかったから本当に楽しみで、敢えて映画に関する情報をシャットアウトして観に行った。正解だった。

公開から1か月ほど経った日の陽が沈んでからの回だったので、空いているかと思ったが、想像以上に人が入っていた。

だが始まると、この世界でこの物語を今観ているのは自分だけなのだと感じた。
そんな自惚れすら覚えるほどに訴えかける力があまりに強かった。
そこに夏彦さんはいたし、彼のもがきや苦しみが寸分の狂いなく自分の中に入ってきて、気が付いたら泣いていた。

視線と佇まいでこれほどまでに心を締め付けられたのは初めてで、動くことも目を逸らすことも出来ずに、ただ彼を見つめることしか出来なかった。

幸せに生きることを切望しながら、だけどもうそれは手に入らないとどこか諦めたような風情で、それでも足掻いている。社会に掬われなかった彼らがどうにかして苦しみや孤独を消化し、昇華させようとしているのが、苦しいほどに愛おしかった。
幸せにしてあげたいと思うのに何も出来ないことが悔しかった。

残酷だと思った。残酷なのに、どうしようもなく美しくて、絶望的な希望に満ち溢れた、そんな映画だった。

きっとこんなに建物がなくて灯りが少ない、もっと静かな街なら星が見えたのだろうなとセンチメンタルな気分で家路についた。
バスの中で、「ガラス花」のMVを観た。
夏彦さんの歌を、北斗くんが歌っていた。混ざっているわけでもどちらかだけのものになっていたわけでもなく、本当に純粋に、北斗くんが歌っているのは夏彦さんの物語だと思った。

他に形容する言葉が見当たらないからこんな平易な言葉になるけれど、美しかった。素敵だった。


帰ってSixTONESの曲を聴きながら唐突に、猛烈に、松村北斗さんのことが好きだと思った。


キセキ  —We got a STONE

こんなに心を強く掴まれて離さない存在に出逢うことなどまだ短い人生において本当に稀有なことだから、この気持ちは絶対に見失っちゃいけない。

そう思ってそこから毎日、今まで以上に熱心にSixTONESの動画を観て曲を聴いた。今までは笑いを求めて企画動画しか観ていなかったが、今度は音楽コンテンツを大量に観るようになった。

「箱推し」という人が多い理由がいよいよ明確に分かってきた。それまでも6人それぞれの魅力が光っていて、それが合わさった時の輝きは別格だと思っていたけれど、本当に"6"の力が強すぎる。
個々でも素晴らしいのは前提として、だけど全員が、SixTONESとしている時が一番眩しい。凄いグループだ。全員がグループのファンで、何よりその場所を大切にしている。

その場所やそこにいる人をどれだけ大切に想うか、どれだけの比重をそこにかけるか、何かと天秤にかけなければならない時に理由なく「大切」を主張出来るか。
今まで幾つかのグループを追ってきた中で、これらが本当にピタッとハマり、崩れそうになっても「大切」を理由に踏みとどまれることが、続けていくためにどれだけ大事で大変なことなのかを、勝手にアイドルたちの人生を外野から見て勝手に感じて、これ以上アイドルを好きになることが勝手に億劫になっていた自分には、SixTONESの「やっぱり6人でだよな!」はあまりに切実で純粋な願いに思えた。守りたいと思った。

追いかけ心地が良すぎるのだ。
アイドルグループのオタクなんて、「グループにいる自担」「メンバーと一緒に楽しそうに笑う自担」が好きに決まっている。ビジネスの絡みだろうとオタクの前でその姿を見せてくれるだけで有難く生きていけるのに、これほどまでに素の状態で、自分たちからそれを提供してくれる状況、幸せすぎるだろう。
しかもこちら側が言うと彼らの未来や人生を強制してしまうことや、それが崩れたときに彼らに背負わせるものが増えることになるのを恐れて、心の奥に留めておくしかない「ずっと一緒に」を、曇りなき瞳で自ら告げてくれる。誰よりも「6人でいること」の嬉しさ強さ尊さ脆さを知っていて、それでもそれを地球上の誰よりも願っているのが彼らなのだ、と思うと愛おしくてたまらなくなる。

今に至るまでの彼らとファンの歴史や葛藤や苦悩をリアルタイムで知ることはもう叶わないし、それらを無視してはいけないことは分かっている。
だけど今「SixTONESは大丈夫だ」と思えるのは彼らが自分たちの軌跡の中でこの「一生一緒」の祈りを構築していったからだと、過去が豊かなものだったからだと思う。順風満帆に行くことは豊かさに比例しない。けれど苦悩はその後の豊かさを作るひとつの糧になる。
そうして辿り着いた今が、いつだって一番輝いている。そして軽々飛び越えてSixTONESの世界を更新していく。

SixTONESがつくる世界は波のようだとたまに思う。
決して荒々しい不安な波ではなく、大きいけれど包み込むような、こちらの心をどこか新しい場所に運んでくれるような、そんな波。

それを携えて彼らが全員で楽しそうに笑う時間空間が、「やりたい」を少しずつ叶えていく姿が、きっと存在する苦しい時間を表には出さずに「楽しい」を発信し続けてくれる精神が。
好きだと思った。


すきなひと  — Cuz I need you right now

もう完全に沼にいることを自覚して、買おうか悩んでいた慣声の法則のDVDを買った。同時に声の初回盤を両方買って、アンセムのMV公開を待ちわびた。

アンセムもやっぱりどうしようもなく好きで、ユニットはほくじゅりだし、聴けない曲があるなんて耐えられないし、THE VIBESも全形態予約した。

慣声の法則のDVDが届くと、早急にやることを終わらせて、なぜか緊張しながらディスクをセットし、ちゃんと部屋を暗くして、夜中までかけて一気に観た。
翌朝FCにも入った。「好きなアーティスト」を選ぶ時、なんだか茶室に入る時のような静かな緊張を覚えた。

あぁ正解だ、好きになった自分、ここ数年で一番偉い。
「自分のことはデフォルトで嫌いなのにさらに日々の中でそれを助長させられているけれどこの人たちの魅力に気づけた自分は大好き」と思わせてくれるアイドルなんてそういない。

そういう存在って人それぞれに異なるから、世の中にたくさんいるであろう素敵なアイドル(に限らないけれど)から自分が心から好きだと思える人を見つけ出すという所業に成功している段階で、自分はなかなか凄い。自己肯定感まで上げてもらっちゃって。

でも大袈裟ではなく、SixTONESを好きになってから、毎日が楽しくて幸せで、好きになる前の生活が早くも霞み出している。
絶対にその時と比べて今が幸せで、そう思えているのは紛れもなく彼らのおかげという事実はずっと忘れずにいたいなと思う。

時々私のためにって勘違いしてしまうほどに彼らはたくさんのものをくれるけど、彼らの愛の矢印はもっと広い範囲に向いているってこと、彼らはオタクの着せ替え人形や操り人形じゃないこと、彼らもSNSの世界に存在すること、「応援してきた」ということを盾に何を言ってもいい訳なんてないこと、当たり前だけど健やかに推していくために文字にした。自戒をこめて。

話が逸れたけれど、こんな途方もない道筋を通って北斗くんの沼に定住を決めた。
裏被りラジオを聴いてからここまで、4か月。前半何もしていなかったから実質2か月で転げ込んだ沼だ。

抜け出そうにももう動けないくらいに沈んで、周りが固まってきた。コンクリくらい固いや。抜け出すつもりもないからまったくもって構わない。


蛇足もしくは本題  —叶う奇跡この目で見届けたい

長。話が長くても許されるのは北斗くんみたいな人限定なのに長々話しすぎている。反省✌🏻

結論、北斗くんを好きになってよかった。かっこよくてかわいくて、愛おしくて素敵な人。これからたっくさん、応援していく所存です。これからもどうか健やかで。

まだ北斗くんの9割9分8厘知らないことだらけだから時間をかけて松村北斗という星を追い続けて、少しずつ知って、少しずつ好きを積もらせていこうと思う。

そしてもちろん、SixTONESみんなまとめて大好き。

彼らが過ごしてきた時間、その重み、そこでの感情のやり取りを見聞きする度に胸がぎゅーってなるけれど、きっとその正体は感謝と愛と祈りなんだろうな。

ずっとずっと、大好きでいたいなと心から思っている。
そして願わくば、ずっとずっとずっと、出来る限り一生一緒にいてください。


ここまで読んでくださった方存在するのかな?いたら凄い。ありがとうございます。なんかあげます。


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