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267.「ペラペラなおさとし」を深掘る/令和6年能登半島地震支援


はじめに


どーも皆さんご無沙汰してます!
今日は久しぶりにnoteを更新しようと思いました。

というのも、
この度の、令和6年能登半島地震で被災された皆様のお力になりたい。
と思ったのですが、立場上現地に向かうことはできず、寄付できるようなお金もほぼ持ち合わせていないので、このnote の売り上げを全額被災地支援に回そうと思ったからです。

寄付の受付は色んな団体がやっていますが、少額でも気兼ねなく支援できる窓口になれるようにこのnoteの後半を300円で販売しようと思います。

もし「300円くらいなら支援してやろう」と思って頂けた方は、どうかご協力お願いいたします。


ペラペラなおさとしとは


天理教を長年信仰していたら、「ペラペラで全然ピンとこないなおさとし」
略して「ペラとし」を受けた経験、皆さんあるんじゃないでしょうか。

僕も若い頃(特に高校時代)はよく「ペラとし」を受けました。

例えば、
「お前ら!!外は雨が降ってるやろ、これは、お前らがダメ過ぎておやさまが泣いてるんや!!」
みたいな、今考えたらメチャクチャなおさとし(お仕込み?)をされた経験が沢山あったと記憶してます。

とはいえ、あんまり言っちゃいけない事かもしれませんが
「それはいんねんだな」とか
「親孝行しなきゃいけないよ」とか
「たんのうせんといかんな」みたいな、
割とよくあるおさとしでも、全く頭に入ってこない事って結構ありますよね。

次の日には忘れちゃう、下手したら数時間後には頭の中から完全に消えてる、
そんなおさとしが星の数ほどもある人もいるかもしれません。(言い過ぎました)

ある時、なんで「おさとし」がこんなペラペラになってしまうのか、真剣に考えたんです。

そしたら、
結構いい所まで考えがたどり着いたので、今回のnoteでは、その時僕が考えた事を書いていこうと思います。


当事者をテンプレート化してしまうおさとし


「ペラとし」で一番多いパターンは、
「当事者をテンプレート化してしまうおさとし」
これに尽きると思います。

テンプレート化とはつまり、
天理教用語(以下教語)に、相談にきた当事者を当てはめてしまうことです。

悩み相談を受けたときに、
「それはあなたのいんねんだね」
「たんのうしなきゃね」

といった、それっぽい教語で返事をするのって、
おさとしする側としてはめちゃくちゃ楽なんですよね。

でもこのおさとしは、病院のお医者さんが診察して
「あなたは病気ですね」
と言っているのと同じくらい、何も言っていない事と変わりません。
当事者にとっても「そんなことは分かってるんだ」って話です。

また、
天理教を全く知らない人に対して、
「それはいんねんだね」
「たんのうすれば助かる」
これはそこからの説明次第で、もしかしたら、通じる可能性が万が一あるかもしれませんが、いきなり専門用語をだされた時点でほぼ相手は引いてしまうと思います。

なので、
現代のおさとしにおいて教語を使うのは、基本的にNGです。
もちろん完全にダメというわけではなく、教語で説明するのがNGだと思います。

教語で説明するおさとしはめちゃくちゃ楽なんですが、それは
「あなたの問題はAパターンです」
と、当事者を型に当てはめてしまう考え方ではないでしょうか。

型に当てはめる行為は、相手をちゃんと見ていません。

人間は皆んな、誰とも被ることの無い
「自分の物語」
を生きているんです

その「自分の物語」を、テンプレート化されるのなんて嫌ですよね。
受け入れられるはずがありません。

ですから、
教語だけで完結するおさとしは、相手の物語を無視した、さとす側の自分本位のおさとしだと僕は思います。


何を言うかではなく、誰が言うか問題


こんな事を書いたら元も子もないんですが、おさとしは基本的に「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大事になってきます。

将棋の藤井八冠が指す一手は、他の人が指せば
「これはミスだラッキー」
と思うような悪手(悪い選択)だったとしても、
「藤井八冠が指すということは、これはきっと何かあるに違いない」
と相手を信用させてしまいます。

それは、
その一手の奥に、日々積み重ねた膨大な研究量が見えるからです。

これはおさとしにも当てはまって、
日々誠を積み上げている先生が「親孝行せーよ」と一言言えば、言われた側は腑に落ちるんですよね。

やはり、
その一言の奥に、先生の積み上げた誠が見えるんです。

「さっきと言ってる事が違うじゃないか!」
と言われるかもしれませんが、実際そうだから仕方ありません。

ちなみに、その先生の凄さが良く分からない人や、疑っている人が相談に来た場合、それはペラペラになると思います。

そもそも、
おさとしは果たしてするべきなのか問題」もあって、おさとしなんかしなくて良いという考え方もあります。
ここについては、書き始めると長くなるので今回は割愛したいと思いますが、一つだけ、「おさとしができる人」については参考になるお話しがあるので紹介します。

昔、東本大教会初代会長中川よし氏に、どうやってお供えを説けばよいか質問した人がいました。その返事は、

「前から拝まれる人はお供えを説かん方が良いと思いますが、後ろから拝まれる人ならお供えを説いても良いと思います」

後ろから拝まれる人は、まさしく日々誠を積み上げている人です。
ですから、おさとしもこれと似たところがあるんじゃないかと思ってます。


「じゃあ凡人である僕らではおさとしなんてできないじゃないか」

と思ってしまいますが、「悩み相談に乗る」ということは、何かしらの返答をしなくてはいけないわけで、それだと困りますよね。

という事で、「おさとしの階層」的な考え方を持っていれば、それなりの返答ができるんじゃないかと今考えています。


おさとしの階層について


「おさとしの階層」ここが今一番考え込んでいるところで、実はまだ答えがはっきり出ていません。

これについてはまだまだ構想段階なので、普段は書かない内容です。
ですが、支援してくれた方に何か渡せるものがあったらと思ったので、今回は特別に書かせてもらいます。

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どうかよろしくお願いいたします。


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