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認識

  赤を赤、青を青だとしか認識できない人間になりたくない。



「神さま」と言ったら何を思い浮かべます?

神々しいとか?尊いとか?それともギリシャ神話のゼウスとか、キリスト教・イスラム教の全知全能の神とか、神道の山の神とか。色々あります。

たった1単語、「神さま」だけなのに人によって想像するものは違います。必ずしも統一された意味を持つ言語は存在しないんです。それにはその人の環境、教育、出身国などの色々な背景によって異なります。

また例を出すとしたら、「お前は馬鹿か!」こう言われたらむかつきますか?状況にもよりますが、この場合の「馬鹿か!」とは反語です。「お前は馬鹿か?(違うだろ?)」と言っているんです。発言、文章をそのまま真に受けてしまう人はなかなかに多いです。

「行間を読む」という言葉があります。どういうことかと言うと、ただ書いている文章を読むのではなくて文章の中から筆者の言いたいことを抜き出して考える。これが行間を読むということです。論説文などを読む時に必要になるのですが、日常生活でもこういう能力はあった方が楽なのかなと思います。決して自分が行間を読む力に長けているという訳ではなくて、言葉をそのままの意味で捉えてしまうと必要以上に傷つくことが多いんですね。だから少しでも楽になる人が増えればと思って拙い文章を書いています。

もっと例を出すとしたら、カップル男女2人が居て、結婚を誓った後、男が「お前はほんとに馬鹿だな」と言います。そして女も「うん、馬鹿だよ」と。この場合の「馬鹿」は頭が悪いという意味じゃないですよね?こんな自分を愛してくれる君が愛おしくてたまらない。そんな意味を込めて「お前は本当に馬鹿だな」と言ったんです。女の人も「うん、馬鹿だよ」と、あなたを愛するなんて私どうかしてるけれど、それでも愛してる。という意味を込めています。その言葉にどんな意味が込められてるのかというのはその背景を慎重に読み取らない限り見えてきません。

典型化された言語を使い回すのは疲れます。もっと言語というのに新しい意味を見出していきたいです。その点で言えば、詩というのはとても綺麗で繊細です。「公然の秘密」のように全く真反対の意味を持つ語をくっつけて新しい意味を見出すんです。こういう表現方法を接着語法と言います。こんなガチガチな言語論という感じじゃなくても、普段の生活の中で無意識に物事に対して新しい意味を見出している時があります。

ただ1枚の葉っぱが落ちただけで、もうすぐ冬なんだなとか、そういう自分の中だけで完結していることも新しい言語の創造なんじゃないでしょうか。


こういう言語論?認識論?なんて言うのかわかんないんですけど、こういうことを考えてると眠れなくなります。人間って面白いなーと思う反面、少し気味悪いです。それがまた面白いんですどね。

僕が何度も唇を紡ぐたび 何度も君が笑うから
きっとこの感情を知るには
捨てることすらいとわないで

シーサイド/菅原 圭

いつか、幸せになれる。いつか。必ず。


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