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保育園立ち上げ日記 |#3| 取締役という立場でわたしに足りていないソフト

今日のおひるやすみ、イオンでごはんを食べながらツイッター見ていたら、その中で『無能な同僚と働くということ』という記事の紹介が流れてきて、君へ、...という冒頭のはじまりが目に入って、どんな展開になるんだろうなーと興味を引かれて読んだ。

その中の一節が、先週スタッフのひとが指摘してくれた自分のわるいところが、そのままのようだった。

つまり、無能は僕だったのだ。一人で勝手に大変ぶって、チームに悪者をつくりあげて、それを解決することで自分がいかに貢献しているかを見せびらかしていたのだと思う。君が僕を揶揄した「heroism」というのは、あながち間違いではなかった。

目に痛かった。ただ、この書き手のひとは、自分のよくなかった点をきちんと認めて、できなかったときの自分を忘れないように、というサブタイトルでブログを書かれていた。

それを見て、わたしも、できたことやったことだけじゃなくてできなかったことをきちんと記録しておこうと思ったのでした。

前述の引用の点は、わたしの足りないところ(たくさんあるのだけれど)の内の最も大きなもののひとつ。先ずはこの点だけ記録しておきます。

1:4月以降指摘をもらっていた点

つまり、無能は僕だったのだ。一人で勝手に大変ぶって、チームに悪者をつくりあげて、それを解決することで自分がいかに貢献しているかを見せびらかしていたのだと思う。君が僕を揶揄した「heroism」というのは、あながち間違いではなかった。

振り返ると今の立場になってサービスを開始した4月以降、上記で思い当たる節がいくつもあった。

社内の別部署の先輩たちは「1人で抱え込まないでください」「これからはヘルプを出して周りを巻き込める人間がインパクトを出していける人だと思います」と教えてくれていた。

スタッフの人も「自分で抱えちゃうから...こちらでできることは何でも投げてください」と言ってくれていた。

きっとわたしは部署内外からいつもドタバタ見えていて、実際に夜の23時とか朝の7時とか土日もよく分からない時間にメールを入れてしまっていた。

そして、実際にわたしは、そうやってしゃかりきに働いているように見せることで知識と経験が少ないわたしなりのマネジメント方法としてリーダー(に近い立場)としてとにかく頑張ることを証明しようとしていたし、認められたいと思っていた(でも実は何度かバーンアウトに近付いてしまって休むこともあった)

そんな中で先日スタッフのひとに厳しい指摘をもらってしまった。

「頼んでいたテーブルっていつ届きますか?」『さっき発注したので、明後日には届くと思います』「来週に絶対必要なものが、どうしてそんなぎりぎりになりますか?5日前には購入が必要なこと分かっていましたよね?」

「抱え過ぎだと思うんです。それで期日が遅れてしまっていること、一度や二度ではないですよね?」「他のひとが忙しそうと言いますがでも先ずお願いしてみてないですよね?」

あぁ、と本当に、ため息しかでなかった。指摘もらった通りでした。

このわたしの良くない性質、高校生のときに知っていたはずだった。生徒会の副会長をやっていたのですが、あるとき業務がたくさんになり過ぎてしまっていて「会長ももっとやってくれたらいいのに」なんて思考になってしまっていたときに、書紀の子が、「手伝えることある?」ととても自然に聞いてくれたのです。「わたしひまだから、手伝うためにいるから、言ってね」って。今でもそのときの場面を覚えている。クラスの前の廊下で、わたし書類を持って職員室に向かう途中で、その子が後ろから来て声をかけてくれて。本人もとても一生懸命部活もやっていて忙しいはずの中。このとき、はじめて、わたしは勝手に自分で大変にして他人を責めていることを、教えてもらったのでした。

こういう性質を持った背景は、多分長女であることだと思う。今まではあまり気にしたことなかったのだけれど、最近ときどき今の自分が育った家族構成と環境に一定影響されていることを自覚します。4人兄弟で下に3人 共働きの両親という環境の中で 自分のことは自分でやるということを積み重ねるうちに「ひとに頼る」ということがとても苦手になったように思います。

10年前に気付かせてもらったはずなのに、4月以降も度々教えてもらっていたはずなのに、また同じような反省を繰り返してしまった。

2:それによる弊害

わたしのこのよくない点により、いくつかの弊害で出ていた。

期日が遅れる
完全にわたしのキャパオーバー故の結果でした。明日まで...と自分で言ったことが明後日になり、明後日まで...と言ったことが5日後になり。昔から所要時間の想定があまい(電車の移動も レポートの提出も ぎりぎりでどうにかなると思ってしまう)癖も相まって、たくさん迷惑をかけてしまいました。ひとりが期日を守らないことは組織の生産性を落としてしまうし、わたしの信頼も減らす行為でした。
スタッフが信頼されていないと感じる
これは今回の発見でした。ひとに仕事を振ることは相手への負担をかけてしまうことだと考えていました。もちろん相手がそれを行うべきポジションであったり、雇用契約内容に含まれているものであれば組織としてお願いしてきたけれどそれ以外のお願いはできるだけ避けていました。
けれども、逆に相手から言うと「確かにメインの業務とは違うけれど手伝える知識を持っているのにどうして相談してくれないの?」と 信頼されていない、自分は関わって欲しくないと思われている、という印象になることを今回とても学ばされました。
確かに、わたしも上司が投げてくれる仕事はどんなものでも手伝えることがすごい嬉しかったのに。
スタッフがわたしに話しかけにくくしてしまう
スタッフのみんなの話をできるだけ聞く、というのは4月以降経験と知識がないわたしのマネジメント方法としてひとつ心がけていたのですが、実際には以下の状態だった。
○ 声をかけてくれた人からは、話を聞く
× みんなから、話を聞く
わたしが忙しそうにすることで、同じ空間にいたら自然と発生できていたはずの会話も無くしてしまっていたかもしれないと思います。

3:今後の対策

上記を踏まえて、具体的に注意していきたい行動. ソフトなことだから直ぐには改善できないかもしれないけれど、以下を意識することで、少しずつ変えていけるのではと思っています。

悩んだことは即相談する. できるだけ範囲を広げて. 
他者に相談するには自分の回答を持っていなければいけない、とずっと思っていたのだけれど、そうでなくても大丈夫みたい。逆に、専門でない中でわたしが考えたことは視点がたくさん抜けていることが多い。分からないことは、分からない、ことをそのまま投げる。誰に相談すればいいか分からなかったら、思っていたより範囲を広げてしまう。
システムづくりにもひとを巻き込む.
諸々の意思決定や判断にあたって、システムについては、運営側として自分たちで決めなければいけないと思ってしまっていた。
けれども、そこにもスタッフの人たちを巻き込ませてもらっていい。みんなの知見を頼らせてもらっていい。
「できない」と言う勇気をもつ
そもそも何故ひとに仕事をお願いするのが苦手かというと、家庭環境から影響された部分もありつつ同時に できないと言いたくないから という感情がありました。分からない知らないと言いたくない。能力や容量がないと思われたくない評価されたい。そんな自己本位な感情で組織に迷惑をかけてしまっていた。
その性格によって、確かに 努力する 根性でがんばる でわたしを成長させてくれる面はあったけれど、この年齢になったからこそ「できない」と言える勇気を持たなければ。
わたしの上司は、スポーツで世界のトップ層と言えるところまで登り詰めたひとなのだけれど、ビジネスミーティングのとき、よく質問をしている。「それはどういう意味ですか?」「分からないのでおしえてほしいんですけど」相手のポジション・年齢・性別に関わらず 誰に対してもおしえてください、と言う。その様子を見せて持っていたはずなのに、今まで気付けなかった。でもこれからはできる気がする、!

きっと、今までのプレーヤーとしてのわたしだったら、こんなように受け止めて前向きに理解しようとすることができなかったかな、と思う。立場が視点を変えてくれたんだなぁ、と思う。わたしの成長は自分のものではなくて、周りに与えてもらって成り立っている。

以上。さて、去年の12月に下書きしてから年が明けてしまった。改めて冒頭から読むと内容が薄い感じもありつつ、きちんと、自分の備忘録として。

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