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チンゲン革命(8)

【前回のあらすじ】
時は現代。この文書を書くための材料を求め、筆者ははるばる創価大学にやってきた。
果たして、そこには求めいた資料「小学生文化新聞」はあるのだろうか…?

創価大学、とにかく広かったね。
広いし、坂や階段が多い。
山ごとドーンと買ったのかね。

23区内の狭いキャンパス出身の私からすると、良い具合に緑もある創価大学のキャンパスは素直に凄いなと思った。

目当ての図書館もさ、椅子や机からして新しいし奇麗なのよ。
一般人でも1000円払えば当日から利用できる。勉強する分には良い環境。

ただし、私は歩くのも暑いのも寒いのも苦手なため、これだけ広くて緑豊かな環境でのキャンパスライフは逆に耐えられなかったと思う。
個人的には「巨大なビルに全てが詰まっている」みたいな方が好きなのだ。空調こそ至上。

正門。もう春休みなのか、人通りは少なかった。右側のナウい建物は工学部か何かの棟。学部ごとに棟が分かれている模様。
デカさ、伝わりますかね。これは神殿ではなく講堂です。創価学会と幸福の科学は建造物のデザイナーが同じ人なのかな?と思うくらい雰囲気が似てる。

歩くのが嫌だから行かなかったが、敷地内をさらに進んでいくと本部棟という名の高層ビルもある。
かなり立派なキャンパスだ。

創価大学のキャンパス紹介はこの辺りにして本題である。
前回の話に出てきた国家権力おじさん国会図書館の司書さんの導きに従い、私はここにやってきたのだ。

中央図書館。左奥に見えているのが講堂。道順的には【正門→中央図書館→講堂→…】という感じ。

正直、私は自分の大学の図書館も使ったことがないくらいには勉強が嫌いだ。大学なんてのは酒を飲んで女子の尻を追いかけに行くものだと思っていたのだから仕方ない。それがなんだ。今どきはみんな真面目に勉強しやがって。昔はもっと不真面目に通っても単位を取れたと聞くぞ。この件は個人的に文句があるのだが、それはまた別の機会に譲るとしよう。

基本的に図書館や勉学というものから遠い人間なので、大学のキャンパスはもちろん、その図書館に入るというのは何歳になっても緊張する。
場違い/分不相応な感じがするのだ。

国会図書館もそうだけど、今どきの図書館は入り口に自動改札みたいなのがあるでしょ。
何かね、カードはクリアしても私という人間自体が拒否されそうな気がしちゃうのよ。
「お前は勉強嫌いすぎるからダメだ。帰れ。」と、自動改札機に怒られそうなドキドキ感があるのよね。

初めて行ったラブホテルよりも、何度も通った図書館の方が緊張するね。

「入館を拒否されるのではないか」という私の不安とは裏腹に、創価大学の図書館は優しく私を受け入れてくれた。
「僕はここにいても良いんだ…!」と、TV版エヴァの碇シンジ君のように私は安堵していた。
安らぎを得た私は、うっかり帰りそうになったのだが、今回の目的は私が安らぐことではない。
小学生文化新聞を探しに来たのだ。

図書館で蔵書検索をすると、それらしきものが確かにあることが分かった。
カウンターで事情を説明し、待つこと数分…

来た!
小学生文化新聞を収めたファイルが出てきた!

ちなみに、中学生や高校生向けのバックナンバーも蔵書していた。
小学生・中学生向けは1987年くらいからの分が残っており、高校生向けはもっと古いものもありそうだった。今回は調査外。
興味ある人は行ってみよう!

そんなわけで、実に30年以上ぶりで私は小学生文化新聞と対面したのである。
正直、創価学会とかどうでも良いのだけど、これは普通に懐かしくて感動したね。ジーンと来るものがあったよ。

昔の小学生文化新聞、見たい?
見てみたいでしょ?そうでしょう?

しかし、あまり大々的に乗せると、あいつらすぐに訴訟しやがるからな。
著作権侵害にはならなそうな範囲でコピーを掲載しよう。

1988年3月20日付の小学生文化新聞の一面である。


刮目せよ!


どや!36年前の小学生文化新聞じゃ!写真の彼らも、今頃はアラフォーアラフィフなのだろうな。このうち何人が創価学会を続けているのだろうか。

どうだろう?
現在の30代~40代くらいまでは懐かしく感じるのではないだろうか。
それよりも上の世代は見覚えあるのだろうか?
ロゴが違っていた可能性がある。

それはそうとして、なぜ私はこんなものを調査したのか。
当時の記事を読むことで日蓮正宗と創価学会との距離感が分かると予想したからだ。
私の記憶が正しければ、日蓮正宗のことが書かれていたはずなのだ。

記事を読んでみたところ、その予想は当たっていた。

例えば、先ほどの記事にはこんなことが書かれている。

NSA(アメリカ日蓮正宗)はパレードに参加し、地域の人々と友情を結びます。

小学生文化新聞 第916号 1988/3/20付

あるいは、同年4月10日の1面第1記事の見出しは「明るく元気に 春休み登山会」である。
登山というのは、創価大学キャンパスの坂道を登ることではない。
日蓮正宗の総本山に馳せ参じるということである。
実際、記事にはこのようなことが書かれている。

春季登山会が3日、4日の2日間にわたって静岡・富士宮の総本山大石寺で行われました。これには、東京、静岡、埼玉、千葉の代表約400人が参加。3日の午後3時半から正本堂に参拝し御開扉をうけました…

小学生文化新聞 第916号 1988/4/10付

ちなみに、第1面の第2記事の見出しは【池田先生の童話がスタート】である。
池田氏云々よりも総本山イベントを優先して扱っていたことが分かる。

もう一つ例を挙げる。
イギリスのメンバーへのインタビュー記事には、サラ・ノーマンさんの言葉としてこのように書かれている。

イギリスのメンバーから見ると、日本のメンバーはとても恵まれていると思うわ。総本山大石寺も近いし、池田先生にお会いする機会も多いものね…

小学生文化新聞 第932号 1988/8/14付

本当にサラ・ノーマンさんがそんなことを言ったのか?言っていないのか?そこはあまり重要ではない。
これを小学生向けの機関誌に載せていることが重要だ。

総本山大石寺と池田氏を並べており、総本山→池田氏の順に配列している。
この時点では【創価学会よりも総本山の方が上】と示しているように見える。

日蓮正宗と創価学会、当時の微妙な関係が見えてきそうではないか。

…と、こんな感じで気になる記事をいくつか集めてみた。
他にも記事はあるので、この感じでもう少し続きを書くか迷っている。

どうですかね?次回もこんな感じの話を続けます?
反響次第でどうするか決めます。

今回はここまで。
良いでしょ?写真を載せたり楽しい感じの記事にできたよたぶん。私は頑張ったよ。うん。知らんけど。

次回に続く!

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