「ブッダという男」読んで
あまり読書をしない私ですが、この本は気になりました。
まず、タイトルが良い。
ジェンダーフリーが叫ばれる昨今にですよ。
こともあろうに、仏教の開祖様を指して「という男」ときたもんだ。
顔だけみて異性を選ぶ的な感じで、タイトルに惹かれて買いました。
でも、買って良かったし、飲む時間を犠牲にして読む時間に充当して本当に良かった。
以下、あまりネタバレさせたくないので、引用はほぼないです。
中身を知りたいなら買って読んだ方が早いです。
本編の概要としては、アマゾン(出版社)の宣伝文句に集約されています。
詳しくは各自で好きなように読めば良いけれど、私なりの味わいポイントがあります。
・「現代人ブッダ」という神話のカラクリ
・最終章~あとがき
この本は全編にわたって分かりやすく、面白さに満ち満ちています。だから、書きたいことは沢山あるのです。
しかし、長くなるので今回はこの2点について書きます。
「現代人ブッダ」という神話のカラクリ
個人的に最も強く刺さったのはこれですね。
自分のポストになっちゃうけど、これを見てください。
まず、半年前の投稿。
さらに、2年前にも似たようなことを私はほざいていた模様です。
伝わります?
「哲学は哲学、仏教は仏教でしょ」と。
「民主主義は民主主義、仏教は仏教でしょ」と。
それなのに、仏教を哲学で説明したり、仏教を民主主義で説明したりする。なんじゃそりゃ。
「仏教を、仏教ではないもので説明しようとする(その時に流行している術語で上書きする)」この手の失敗は、1000年以上も前に格義仏教でやらかし済みでしょうと。
それなのに、人類は同じ轍を踏み続けるわけですよ。
私の中には、そこのモヤモヤがずーーーーっとありまして。
しかも、より質の悪いことに下手すると「仏教から一切の信仰性や形而上要素を排除するケース」さえあるでしょ?
もうね、物凄く強烈な違和感を覚えるわけですよ。
本の中で筆者は、その違和感の正体を鮮やかに説明してくれています。
お陰で、積年の胃もたれ感がスッキリしました。
ソルマックみてぇな本だなこれ。
筆者は参考文献の紹介ページの中で、このように言っています。
初期仏典を前にして、その困難さと格闘した成果物がこの本なのだと思いました。もうね、大好きですよ。
筆者がどんな性格の方なのかは知りませんが、言葉や解釈に対して非常に誠実な方なのだろうと想像します。
最終章~あとがき
この本は、本編の第1章から第12章まで、濃ゆい味わいが続きます。
仏教、特に岩波文庫の「ブッダのことば」を読むような人にとっては、捨てるところが一つもないんじゃないかな?
本当に、ずっと面白いですよ。
で、一通りのストーリーが終わって満足したところに鎮座するのが最終章。
この最終章がね。
書いてあることはまとめなのだけど、感動しました。
満足したところで、とどめに超濃厚スープを飲まされる感じ。
計算したのか分からないけど、構成の美みたいなものを感じてジーンとしましたよ私は。
もうさすがにそこで満足なんですよ。お腹いっぱい。
しかし、そこで終わってはなりません。あとがきまで読みましょう。
どんな書籍もあとがきは大事だけど、この本に関しては「あとがきこそ本編だ!」と言う人が出てくるかもしれない。
すでにXなどでもネタバレしてるからこれは書いちゃうけど、筆者はアカハラにより出版妨害を受けたと。
そう、出版妨害の本家といえば創価学会。そして私は創価神です。
他人事とは思えません。もちろん、加害側として。嘘です。
何というか、学問の素人としては「学問は言論の自由の最たるもの」だと思いたいのですよ。
異論反論が前提のものであり、ケンカするなら論文でやり合う…みたいな世界だと。
現実は違うということが分かり、残念な気持ちになりますね。
そういう中で聖典とも向き合い、現実とも向き合って、困難な現実を乗り越えての出版。
私は昭和生まれの創価学会員ですからね。基本的に戦闘志向ですし、困難に立ち向かうとかのストーリーが大好きですからね。
熱くならないはずがないです。
筆者にはぜひ、あとがきの続編を書いてほしいと思いました。
タイトルは決まっています。
「俊史という男 --出版妨害の事実を解き明かす」でどうでしょうか。
おあとがよろしいようで。
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