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『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊

「ケインとアベル(下)」


上巻はその後に起こる波乱を予測させる形で終わっているが、下巻は現実の人生でもよくあるちょっとした行き違いや、必然としか言いようのない偶然が折り重なって人生模様を編み上げていく。
最後まで読み終えたときには、初めて読み終えたわけでもないのに、頬を熱い滴がつたっていた。

人は何のために産まれ、何のために生きているのだろうか。
人間にとって生きがいとはいったい何なのだろう。
ある者には、それは憎悪に駆られた復讐であり、また別の者には、好きな者の愛情を得ることであったり、単に富や名声を得ることである者もいるかもしれない。
求める目的、形は種々雑多かもしれないが、いずれにしても人生の目標たる生きがいのすべてを無くしてしまったならば、人は死ぬことを待つほかにすべは無いのだ。

人間とは、なんと愚かで可愛い動物なのだろうか。

小説を読み終えて、歩んできた過去を振り返ってみたら、なんとなくそんなふうに思えてきた。

上巻は序章に過ぎない。
この本を上巻だけ読んで下巻を読まないという方もそういないであろうとは思うが、もし上巻を読んで少しでも何かを感じたのなら是非、下巻も読まれることをお勧めする。

著者であるジェフリー・アーチャーという作家は、イギリスの下院議員だったときにカナダのインチキ会社に投資してしまい破産、借金を抱えて議員を辞職し、子供のミルク代を稼ぐために騙された実体験をもとに小説「百万ドルをとり返せ!」を書いたらベストセラー作家になったということである。そして、上巻のはじめに感謝のことばとして書かれている文章からすると、「ケインとアベル」にはモデルが存在しているように思える。

つまり、ふたりのモデルの実体験を著者の実体験で張り合わせることで作られたのがこの小説なのではないだろうか。だとすれば、密度の濃い、リアルなものが出来上がっても不思議ではない。
行間に溢れ返っている様々な教訓と人間模様が、今一度、人間、生きるということ、生きる目標、生きる価値・・・など、など人それぞれ気付くポイントは違っているかもしれないが、きっと生きていく上で忘れかけていた大事な何かを教えてくれるのではないだろうか。



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