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iPS細胞になりたかった話


iPS細胞とは、、
「induced pluripotent stem」の略で、2006年に山中伸弥教授が開発した細胞だ。

私はiPS細胞に憧れていた。

iPS細胞になりたかった話の前に、iPS細胞がどのように発見されたかについて話そうと思う。


【iPS細胞が発見されるまでの経緯】
ヒトの誕生はたった1つの細胞から始まる。
1つの受精した細胞が、2個、4個、8個、16個と猛烈な勢いで分裂。分裂を繰り返して5日経った細胞を多能性幹細胞(以後、ES細胞)と呼ぶ。
このES細胞は、ほとんど全ての組織・臓器になる多能性を持ち、高い増殖能力を兼ね備えている。つまりES細胞は”何にでもなれるスーパー細胞“なのだ。
ES細胞は、受精後3週間も経つと決められた部位の器官へと分化していく。この細胞は神経、ここは胃、ここの細胞は将来骨に、、と。
やがてそれぞれの体の器官ができあがり、赤ちゃんとしてこの世に生まれてくる。


研究者は考えた。
どの細胞にもなり得るES細胞を利用すれば、瀕死状態の患者の命を取り留められる。
例えば、受精5日後のES細胞を取り出して、肝臓への指示を与えれば、その細胞が増殖して肝臓という臓器になる。そうすれば肝臓癌の人がドナーを待たずに、手術を受けられるかもしれない。
他にも、ES細胞を使えば様々な応用が効く。

ところが、本来ヒトになるはずの細胞を使うのは倫理的に問題だという意見が出た。
最もな意見である。
その結果、万能な細胞が存在する事を知りつつも、倫理に反することから長年ES細胞を使うことが許されなかった。


そんな中、山中伸弥教授のiPS細胞の発見があったのだ。
山中教授は、ES細胞の何にでもなれる能力がES細胞内の遺伝子情報に関係していると考えた。
そこで、関与していると考えられる遺伝子を理化学研究所の遺伝子データベースから100個に絞って実験、24個に絞って実験、そして最終的には4つの遺伝子が関与していることを特定した。
4つの遺伝子を皮膚などの細胞に入れると、、
「なんと!」
一度分化してしまった細胞が、再びES細胞と同じ働きをするスーパー細胞になるではないか!
これなら自分の身体の一部を提供すれば、万能なES細胞が手に入れられる。将来赤ちゃんとなるはずだった細胞を使わなくて良いため、倫理的問題もクリア。自分の細胞を使うため拒絶反応も起こらない。
まさに夢のような発見だ。

長々と話してしまったが、
私はこんな魅力的なiPS細胞になりたかった。


【iPS細胞になりたかった話】
細胞の分化は、ヒトの一生に似ている。
将来何になりたいか、年齢が低ければ低いほど、将来への可能性は無限大。何にでもなれる存在なのだ。
つまりこの状態がES細胞である。

そしてだんだん自分の得意なもの、興味あるものが分かってくる。
そして、社会人になり専門的な仕事に就く。
この状態が分化した細胞といえよう。

私は分化した細胞になんてなりたくなかった。
いろんなことに興味を持ち、あらゆる分野に対して一定のレベルまでもっていきたいと思っていた。だから、一度ある分野に分化(特化)したら、また何にでもなれる状態に戻って全く別の分野に挑戦する。そうしてバラエティあるiPS細胞たる人生を送りたいと思っていたのだ。


しかし、最近、分化する生き方も悪くないと感じる機会があった。
それは、藤井聡太さんや木嶋真優さんをテレビで見るようになってから。
彼らは分化した細胞だ。
しかもその分化度合いは極めて大きい。

藤井聡太さんは、藤井4段としてもてはやされてそのまま終わるかと思いきや今は。。
常に将棋のことだけ考えて対策を練っているという。
将棋で勝つことに貪欲であり続ける精神を保つのは容易ではないはず。しかし、それを為して、結果まで残しているところに感銘を受ける。大人になると続けることがいかに難しいか分かるのだが、藤井さんはわずか高校生にしてタイトル獲得、その後も連勝を続けている。
すごい分化細胞だ。

木嶋真優さんは小さい頃からずっとバイオリンを続けてきたバイオリニスト。
親から「修学旅行なんて行ってる暇があったらバイオリン練習に使え」と言われた等、びっくりするエピソードもあるのだが、その音色は本物だ。
テレビを介しても、その音色が他のバイオリンの音色と全く違うから、直接聴いたらどれだけ鳥肌が立つのだろうか。
すごい分化細胞だ。

ただ、
彼女は「もしバイオリンが弾けなくなったら、私の一生が終わる。」とも言っていた。
分化してある能力を突出した状態だと、それを失った時の怖さもあるのだと知った。



*  *  *

分化した細胞もすごいと思う。
でも、私はやっぱりiPS細胞のような生き方をしてみたい。

iPS細胞のようになれれば、、、
何にでもなれる能力を保持したり、専門的な役割を果たしたり、時と場合によって必要なパフォーマンスができる。

そんな私は欲張りすぎでしょうか。


以上、1つのことに専念して熱意を注げるほどの勇気と自信が無い私のぼやきでした。