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げんわだい(おとべちょう)
油絵 F4 キャンバス 横333×縦242 2016制作



この絵は、道の駅から描いたものです。

乙部町は江差町の北に接しており日本海に面した町です。
町の歴史は古く15世紀の中頃には福井地方から和人(日本人)が入植したと伝えられています。
江戸期にはニシンの千石場所として江差に次ぐ町として発展しました。

北海道各地に源義経伝説が多く残されていますが、特に乙部には色濃く伝えられています。義経が最初に上陸したのが乙部であったという伝説で、それが地名としても残っているのです。
乙部岳は義経の別名九郎半官から九郎岳、静御前を思いつつも越えなければならなかった峠は姫待峠。乙部にたどり着いた静御前が、すでに乙部岳を越えており2人は会うことが出来ませんでした。悲嘆にくれた静御前は、川に移った自分の姿を見て、望みも力も失ったと川に身を投げ姫川と呼ぶようになったという川は町の中心を流れています。


道の駅ルート229元和台に行くと、変わったモニュメントがあります。
解説を読むと19世紀ごろ元和地区に3人の漁師が住んでいました。

ある日、船でこんぶ漁に出かけた 3人は嵐に遭い、ダッタン国(現在の中国吉林省)に漂着してしまいました。彼らはその国の役人の指示に従って国内を移動し、当時の宮殿「紫禁城」(しきんじょう)でやっと日本に帰国する許可をもらいます。当時は鎖国していた日本のこと、船で長崎についた3人は長崎奉行で厳しい取調べを受けます。大変な思いをした3人は、北前船に乗って約2年半後に乙部に帰ることができました。


箱館戦争で新政府軍が上陸したのが乙部漁港に碑が立っています。
最初の戦闘が行われた町なので史跡が残されています。




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