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旅の思い出

素晴らしいオーロラ
 2005年(古)、カナダを旅しました。そのちょい前に、イエローナイフを舞台にした?恋愛ドラマが流行ったらしく・・・すみません、私は観てないので知りません・・・友達がカナダを希望。でも、調べたら、イエローナイフより、ユーコン州のホワイトホースの方が、オーロラ観測率が高いとのことにて、ホワイトホースへの女3人旅となりました。
反射してる、へたくそな写真です。

夜の温度

 マイナス50℃近い。これくらいじゃないと、良質のオーロラには巡り逢えないのか?ってか、空港から外に出て、思いっきり深呼吸したら、マジ肺が凍った!(君は本当に看護師かい?)超痛かった!!そのすぐあとに、後ろにいた日本人グループのガイドさんが、「息は直に吸うと危険ですので、マフラーなどを通してくださいね。」だって・・・もう少し、早く聞きたかった・・・。(泣)
はい。もちろん、濡れタオルを振り回し、シャキーンと立つ実験もしましたよ。

 滞在中、現地日本語ツアーに入り、3日間、毎夜、山小屋に連れて行ってもらいました。温かい山小屋で待機し、オーロラが出現したら外に出るというもの。当時はそんなにお高くもなく、いやマジありがたかった。その山小屋での出来事を記そうと思います。

いろんな人
 まず、やや高齢現地人ドライバー。ずーっと小屋でソリティアしてました。(笑)私も当時ハマっていたので、ず~っと横で見てたら、PCを貸してもらえました。かなり圧が強かったんでしょうね、わたし。
 その時ふと、日本人高齢者は、PCでソリティアやるかな?そもそもPC持ってるかな?と思い、カナダって先進国だな~って感心したのを覚えています。そして、最近、PCが使えないがために、新型コロナウィルス感染症ワクチンの予約が出来なかった高齢者が多くいたように、20年が経過した今でも、日本のデジタル化は進んでないな~と思っています。

 当時流行りのオーロラだったので、新婚旅行カップルも数組いました。私たちの1日目(カップル1の最終日)は、ごく短時間、緑のうっすらしたオーロラが見えただけでしたが、そのカップルは、「最終日で見られたなんて奇跡!」と、大変喜んでおりました。私たちの2日目(カップル2の最終日)も、昨日と同様のオーロラ模様でしたが、そのカップルは、「だから北欧にしたら良かったじゃん!」と、喧嘩になっていました。私たちの最終日(カップル3も最終日)は、現地人も「珍しい」というくらいカラフルなオーロラが出現しました。私たちも、そのカップルも、「やっぱ私達はツイてる!」「私たち最高!」と大感激しました。意気投合した私達です。連絡先の交換をしました。数年後、そのカップルは離婚したことを知りました。アメイジングなオーロラが奇跡的に見られても、その後次第なんだなと、当時アラサーの私は悟りました。

ん?なこと
 日本~バンクーバー~プロペラ機でホワイトホースに飛びました。その際、どこかしらでスーツケースのタイヤが根元からモゲた状態で戻ってきました。カウンターへ行き、カタコトの英語で「いっと わず ぶろーくん」と訴えましたが、無言でプレートの文字を指さされました。そこには、「ラゲージの付属品の保障はありません」的なことが書いてあり、でもでも、友達も一緒に「わーわー」言ってみましたがダメでした。(泣)その後、悶々とした気持ちのまま喫煙所でタバコ(今はやめた)吸ってたら、「ライター貸して」と、現地のイケメンに声を掛けられ、その流れで、カタコトの英語で上記を説明。そしたら、「ワーワー泣き叫べば良かったんだよ。」的なことをご教示いただきました。なーる。ダメもとでやれば良かった!と思った、カナダの喫煙所でした。

 帰国して、普通に日本の航空のカウンターで、「これ、壊れて出てきました!」と、さも、今発見したように言うと、「弁償させて頂きます。」と。日本ってなんて良い国なんだ!と思ったな~。けど、最近、知り合いの外国人が、「日本はさ、ちょっと強く言えば何とか都合つけてくれるよね。国でそれやったら、ボコボコにされるからしないけど。」だと。以前、集団で外国人が生活保護の取得目的で移住してきて、まんまと生活保護を受け取ったこと、結果、バレてナシになったこと、が問題になってたのを思い出しました。
 イベント時に残ってゴミを拾う日本人、クレーマーにもきちんと対応する日本人、ファジーな感じの日本の外交、思いを察する能力/共感力のなさをどうするかが問われている看護教育。グローバルスタンダード、多文化共生や多様性は大切なことです。が、日本人の良き心/慣習/文化は大切にしたいと改めて思いました。

またお読みいただけますと嬉しいです。
Thank you!


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