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1÷0の答え

0ではありません。

不定でもありません。

「不能」です。 能わずです。 もう少し正確に言うと、演算が定義されていません。 定義がないので答えることができないのです。 それを短く表現すれば「不能」です。

いわゆるゼロ除算ですね。 ※これに対して 0÷0 の方は簡単で、「不定」(すべての数が答え)で上手く折り合いがついています。

「存在しない」と言うのも、「定義されない」「定義できない」と意味が違います。 何故なら、「存在しない」は、文字通りとれば「解が無い」のです。

「定義できない」、「定義されない」から、演算結果が「無い」と言うのは言い過ぎです。 「定義が無い」「定義の範囲外」であると言うのなら分かります。 あくまで、今は計算しないという「意思表示」なのです。

何故、定義されていないのか、それを正直なところ、小中学生に分かるように説明するのは無理でしょう。 しかし、「存在しない」と「定義されない」を混同させるほうが罪が深いと思います。 私に言わせれば、優しく誤魔化しても、騙しているのと変わりないと思います。

面倒なので「ルールでそう決まっている。」と言いたいところですが、正直に「ルールでそう決めている。」 「ルールで決めようとしても、 上手くルールが決められないので、取り敢えず、今は、不能と書いてください。」というしかないです。 考えるなとは言っていません。 むしろ、考えさせるものです。

小学生や中学生の心情や先生の立場を忖度して、むげに「今のところ、ルールでそう決まっている。」と言えないというのは、論理を重んじる科学に反します。 一見、簡単なように見えても、割り算のように、すべて未だ上手く折り合いのつけることができない演算があるということを、ある意味、教えることのできる絶好の機会です。

極限を考え、±∞とか、案が出てくるでしょう。 でも、∞は数値ではありません。 通常の数値のように演算できないのです。 特に若い人には、こう言った思考が非常に重要です。

All or Nothing、二元論、すこし拡張してレッテル貼り… マスコミや政治家が好きな論法です。 これらにより、その実体を無理矢理、型に填め、覆いを被せてレッテルを貼ってしまうと、その下にある真理を見ることはでません。 レッテルを貼ってしまうとそれ以上考えなくなるからです。

 ここからが本筋です。 ——

演算できない、見えないから、存在しないと言う発想では、虚数・四元数や量子力学・相対性理論は生まれて来ません。 あくまで、演算は人がルールで決めているものだと教えるべきです。 存在しないと言い切るのは、新しい可能性まで否定することになります。


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