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【3ー2限目】保険っていつから始まった?

ごめんなさい。
書き始めたらおもしろくてついつい書きすぎた・・・
今回は特別5分講座。笑
業務には関係ないけど、楽しんでもらえると嬉しいな。


さてと・・・
「保険に似たしくみは紀元前からあった」というところからエクストリームにいくよ~

紀元前3000年ごろ~:バビロニア(現在のイラク南部)

物資の運搬を任せていた旅商人による金品の持ち逃げをふせぐため、旅商人の妻子や財産を「担保」にとっていた (゚Д゚;)

また、紀元前1700年ごろ、輸送中の金品が盗賊に奪われたとき、損害は融資した人が負担するというしくみがあった。

紀元前300年ごろ~:古代ギリシャ

地中海での貿易の海難事故(遭難や海賊の襲撃)による損失を、利害関係者で分担するしくみがあった。

さらに、金融業者からカネを借りて交易した商人が海難事故に遭ったときは、カネを返さなくてよいしくみがあった。
つまり、金融業者が海難リスクを肩代わりしてたってこと(「冒険貸借」という)。

西暦400年ごろ~:イギリス

ギルド(宗教や職業の組合)で、組合員に不幸(死亡・病気など)が生じたときに、組合員から会費を募って救済していた。

・・・ここらで、日本に目を向けてみよう。

645年ごろ(大化の改新):日本

中国で500年ごろから始まっていた「義倉(ぎそう)」というしくみを始めた。
災害や飢饉に備えて、穀物をみんなで集めておくというものやで。

1350年ごろ(鎌倉時代):日本

何人かでお金を集めて、とあるタイミングで参加者の一人が全額を受け取るということを一定期間繰り返す「無尽(むじん)」「頼母子(たのもし)」という金融のしくみができた。
参加者全員が、期間内に必ず一度はお金を受け取ることで、公平性を保っていた。
「出世払い」とか「成功者から寄付」とか参加者の事情が配慮されることも多く、「冠婚葬祭など困ったときにまとまったお金を受け取るために、なけなしのお金を出し合っておく」という意味で、庶民の相互扶助のしくみといえる。


さて、ここまで出てきたしくみは、
「偶然発生するリスクのために先にお金をだしておく(保険料)」
「お金の流れを管理する機関がいる(保険を引き受ける会社や人)」
という保険のしくみとは異なるね。

・・・そんななかヨーロッパでは、初の保険が!

1200年ごろ~:イタリア

世界最古の保険証券がイタリアの「ダティーニ文書(1870年に発見)」の中から見つかっている。
その内容は、冒険貸借から「金を貸すこと」を切り離して、「偶然発生するリスク」に対し保険料を支払うしくみ。
ということで、保険の誕生は「海上保険」だった。

また、輸送する「奴隷」を”モノ”として保険の対象とした海上保険が存在した(1400年ごろ)。
これが、生命保険の起源ともいわれている。

1580年ごろ:イギリス

エリザベス一世が、「無敵艦隊」スペインの海の覇権を崩すため、イギリスの海賊に投資をした。
海賊には危険(ケガ・病気)が伴うけど、エリザベスさんが「ケガしたらお金あげる」としたことで、海賊が大活躍!
結果、世界の覇権がイギリスに移っていった。

・・・ちょいと日本へ戻るで。

1600年ごろ(豊臣秀吉の統一政権時代):日本

朱印船が南蛮貿易するにあたって、冒険貸借と似た「抛金(なげがね)」というしくみがあった。
文字通り、投げ捨てる覚悟でお金を貸すということ。
どうやら、日本に交易で来日したポルトガル人が教えてくれたみたい。
1639年鎖国にて終了。

・・・再びイギリスへ。保険が「海」から「陸」へ

1681年:イギリス

1666年ロンドン市の80%が焦土と化した「ロンドン大火」を経て、内科医兼建築家のバーボンさんが初の火災保険会社「ファイア・オフィス」を開始した。
海上保険をヒントに、
「だれでも加入できる」
「火災による個人的な損失を対象とする」
「発生率(地域や、木造・レンガ造り)によって保険料を決める」
という近代的な火災保険の原型となるものを生み出した。

1688年:イギリス

ロンドンのロイドさんが開店した喫茶店「ロイズ・コーヒー・ハウス」で、お客さんに最新の海のニュースを発行するサービスを行った。
それがきっかけで、海上保険を引き受ける人や、船員・貿易商が商談の場として集まるようになり、現在も世界的な保険取引所であるロイズは生まれた。

1762年:イギリス

1693年に「ハレー彗星」で有名な天文学者ハレーさんが死亡の統計データをもとに「生命表」を作ったことで、年齢別の死亡率に基づいて生命保険の保険料が計算されるようになった。
そうして、世界初の科学的な生命保険会社「エクイタブル・ソサエティ」が誕生したのが1762年。
「死亡率に基づいた保険料」「医学的審査の導入」「最高保険金額の制限」という現在の生命保険の基となるようなしくみをつくった。

・・・ヨーロッパでは保険の勢いが止まらない!

1828年:フランス
「ガラス保険」
・・・パリで化粧鏡の破損を補償したのがはじまり

1848年:イギリス
「傷害保険」
・・・産業革命真っただ中、ロンドンで「鉄道旅客保険会社」が設立。旅客のケガの保険。

1885年:イギリス
「盗難保険」
・・・警察官が発案し、ロイズが引き受け開始

1896年:イギリス
「自動車保険」
・・・ドイツのカール・ベンツさんが自動車を発明(1885年)してから11年後にロンドンでスタート。


・・・日本へ戻ろう。大きな変化が!

1861年(文久元・万延2年)

1853年のペリーさん来航で鎖国が解かれると、イギリスの「インペリアル火災保険会社」が横浜で開業。
外国人を対象に火災保険や海上保険の引き受けを始めた。
ちなみに、20年後の1881年には72社の外国保険会社が横浜で営業していたよ。

1867年(慶応3年)

アメリカに行った福沢諭吉さんが帰国後に書いたベストセラー「西洋旅案内」で、「外国には生命保険・火災保険・海上保険というものがあるよ」と紹介した。
ここから、日本で保険の普及が始まるんだな~

1873年(明治6年)

明治政府が進めた北海道開拓事業を発展させる目的で、日本人による初めての保険組織「保任社」を結成し、海上保険をスタートした。
ところが、採算がとれず1年で解散・・・
「第一国立銀行(現・みずほ銀行)」が業務を引き継いだけど、保険の損失を銀行で集めたお金で補填するおそれがあるため、下記の「東京海上保険会社」にバトンタッチ。

1879年(明治12年)

とある華族が計画していた鉄道事業が途中で挫折し、明治政府に上納していた金が戻ってきた。
その金と、渋沢栄一さん(第一国立銀行の頭取)や岩崎弥太郎さん(三菱財閥創始者)など200余名が株主となり、日本初の保険会社「東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険)」を設立。
ちなみに、「会社」と「組織」の違いは、利益を分配できるかどうか。

1880年(明治13年)

安田善次郎さん(安田財閥創始者)らが、日本初の生命保険組織「共済五百名社(現:明治安田生命。安田生命の起源)」を結成。
ちなみに、共済五百名社の運営に行き詰まった善次郎さんは1894年、矢野恒太さん(第一生命創業者)らとともに会社化(共済生命保険合資会社→1929年に安田生命保険株式会社)。

1881年(明治14年)

福沢諭吉さん門下(慶應義塾)の阿部泰蔵さんが、日本で初めての生命保険会社「有限明治生命保險會社(現:明治安田生命)」を設立。

1887年(明治20年)

東大のドイツ人教授が「火災リスクを国営の強制保険にすべき」と提案し、
国営派の大蔵省(大隈重信さん)VS 任意加入が良いという民営派の内務省(伊藤博文さん)
で意見が分かれたが、1876年に民営派が採用された。
その提案資料を後々発見した柳川清助さんらによって、日本初の火災保険会社「有限責任東京火災保険会社(現:損害保険ジャパン)」が設立された。


もうちょっとだけお付き合いを。笑

「保険」って言葉はいつからか?

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英語のinsurance(インシュアランス)の語源は「securus:(ラテン語)不安や心配のない状態 + in:〇〇という状態にする」。

日本にinsuranceが入ってきてから、
「保険」という言葉が広がってきても、「海運保険(ふねまわしのうけあひ)」みたいに、保険の訓読みが「うけあい」の時代がしばらく続き、「保險(ほうけん)」などの読みを経て、1900年ごろから「ほけん」と読まれるようになったみたい。

そもそも、中国から「保険」という言葉を輸入したんだけど、
中国における「保険」という言葉は「随書・劉元進伝(600年ごろ)」などに出典があり、もともとは「険要の地に立てこもる」という意味。
「険要の地」というのは「大切なものを守るための重要な砦」。
イメージは、「秦が歴史上一度も抜かれたことがない、王都を護る城砦・函谷関」みたいなかんじかな。

つまり、「保険」の語源は、「危険から守る(保る)」ではなく、「大切なものを守るための重要な砦を保つ」ってことだと思われる。


はい~お疲れさん!
紀元前から明治時代までぶっとばしたね~
明治後半~昭和初期までは、紆余曲折ありながらも、保険が徐々に広まっていったよ。
次の大きな変化、そして、現在の保険業界を理解するために大切な「第二次世界大戦前後」の世界を、次の講座でやっていくで~

【3ー3限目】大戦前後の保険業界

おたのしみに~

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