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私と自分とほかると。

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【私】無意識を含めた全て。【自分】理論・意思の及ぶ範囲。【ほかる】物理的な存在としての私。
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2018年3月の記事一覧

やさしいひと

私が最も嫌いなもの。 気遣いに溢れるやさしいひと。 忖度だなんだと周りの人間を幸せにするため、己のことを後回しにするどうしようもないひと。 要らぬのだ。そんなもの。 全く無駄なことだ。 奴らが最後に残してゆくのは、つまるところ悲しみだけ。 「あいついいやつだったのにな」なんて声が枯れるくらい泣かせるくらいなら、快哉を叫ばれる方が良いと思わない? 私が愛して止まないもの。 気苦労に倒れるやさしいひと。 苦しいくせに、笑っているの。 ”それは誰の為?くっだらない。”

エイプリルフール・イブ 全てが嘘になる前に語っておきたいこと

最近、周りで多くの人がこの世界からいなくなって、いろんな宗派のお別れの儀式に出た。 最近、身近なあの人たちが老いていって、いろんな姿を見ている。 なんてノートを書いたのは、 この節目にひとつ、蓄積された私の思想を明文化してみようと思い立ったからだ。明文化すると私から離れ、独り歩きするだろうけど、それを楽しんでみたい気もする。 私は、特定の思想に傾倒しないと言う意味では無宗教であるが、無神論者ではない。”神”は、いる、と思っている。 ただし、ひとくちに神といっても、人間的骨

違和感

現代の社会システムと人間に馴染めないの。 誰かせいだとか、私のせいだとかそういう問題じゃない。 鬱だとか虐めだとか画数の多い難しい話でもない。(現代社会システムの定義的にはそう診断されるのかもしれないが、それは強烈な違和感に長時間さらされていたことにより副次的に発生した現象だ) むしろ私の精神状態はそんじょそこらの現代人よりは極めて冷静で満ち足りているのだ。 だが、何かが違う。 掛け違えたボタンが分からない。 そもそも、ボタンが違うのか。 ボタンではなかったのか。