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「できる範囲での回答」への返事。#保苅実

58年前の今日、1966年8月23日にグリンジの人々はウェーブヒル牧場から退去しました。

上の記事を X にリンクしたところ、2024年3月19日にパブリックヒストリー研究会代表として選出された岡本充弘氏から X上(@hokari_minoru 宛)に返信がありました。

そのなかで、2024年7月に開催される大会で議題にしたうえで、正式に回答するということでした。しかし8月の半ばをすぎても未だに正式な回答はありません。

「保苅実の死後20年を記念し蘇生する」と宣伝して開催した公開研究会であり、代表者が7月中に回答すると発言したにもかかわらず、この現状はあまりにも不誠実であると考えています。私が研究者ではないからなのでしょうか。

一方で、岡本氏とのやりとりの直後、パブリックヒストリー研究会のウェブサイトからは当該研究会のことが削除されています。このことは私とのやりとりがあったからではないかと思われますが、私から削除を要望したわけではありません。好意的に解釈すれば記載内容を適切なものに変更するためとのことなのかもしれませんが、歴史学グループがまるで「なかったことにする」という行為に驚きを隠せないでいます。当日発表した若い研究者たちの業績が抹消されることにもつながりかねません。

繰り返しになりますが、次のことについてパブリックヒストリー研究会としての回答を求めます。

1.保苅実に関わるこれまでのイベント等を手掛けられた方々は、すべて「保苅実とつながる会」代表である私に連絡をし、許可を求めてきました。私は、保苅実ががジミーさんをはじめダグラグの長老たちや、ダグラグカウンシルに博士論文提出の許可を取ったという事実の意味を非常に重く考えており、つながる会の活動でも同様の方針に基づいて行動してきました。保苅実とつながる会では連絡先を公開していますし、パブリックヒストリー研究会の呼びかけ人の中には、保苅実とつながる会のメーリングリストを受け取っている方が何人もいます。私の存在や連絡先を知らなかったとは到底思えません。パブリックヒストリー研究会で保苅実の名前を使った研究会開催の承諾をとらなくてよしとした理由をご説明ください。

2.公開研究会で使用されたスライドのなかには、私が著作権を有する写真がありました。この写真を使用した経緯についてご説明ください。

なお、保苅実に関わる研究会や批判を私は大いに歓迎しています。保苅実を蘇生させるという言い方はさすがに傲慢だとは思いますが、研究内容について私が口を出すことはありません。これから保苅実や実の研究について言及されたいと思う方たちに対し、何も萎縮される必要がないことをお伝えしたいです。

保苅実とつながる会
保苅由紀


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