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週記になっちゃった

日記が続かなかった!

毎日書きたいのに、書こうとすると息子のことばかりで、なんとなく負い目のような気持ちがあって止まってしまった。みんなは色んなことをしてるのにわたしときたら、と。卑下することではないのに、わたしの日記がわたし以外の人物のことで占められていることへの謎の負い目。書くことは楽しいから、ときどき通帳記帳のような感じで書こうかな。

自分の不注意により足に楽器を落として、あまりの痛さに子供のように泣いた。痛いよ〜と泣きながら、骨が折れてたら子の送迎を夫に代わってもらって…買うつもりでいた靴の試着はできないだろうか…みたいなことを走馬灯みたいに一瞬で考えたけど打撲だった。

息子の長靴とスニーカー2足が同時にサイズアウトしたので、この週末は子供の靴を3足も買った。「まだ大丈夫だな」と、つま先を押して確かめたのはつい最近だったのに。子供の足が、親の見ていない隙に「にゅっ」と瞬時に1センチぐらい大きくなるところを想像した。

息子は体が小さくて、色も白くへなへなしている。でも口だけは誰よりも達者で、知りたがりの調べたがりの知ったかぶりで、いつもわたしの真横に来て、わたしのスカートを掴んで真上を向いて、ああでもないこうでもないと喋っている。うん、とか、へい、とか相槌を打ちながら、小さい知的生命体だ…と不思議な気持ちになる。生物を産んだ実感はある、でもそこに知性が宿ることは、わたしの実感とは関係なく勝手に展開していて不思議なものだと思う。

俳優さんが亡くなったというニュース。なにごとも、本当の理由は本人にしかわからない。わたしなら、自分の死因を、心のうちにまで踏み込んで想像されるのも同情されるのも憤られるのも、そこに悪意がなくてもまっぴらだと思う。

個人の生活にある憤りを、人の人生の終わりに勝手に重ねて語るなんて、とても失礼だし、そんな消費は止めて、事情を知らない者は口をつぐんで悼めば良いのにと思う。

自分の誕生日だった。友達や家族に祝ってもらって嬉しかった。息子には「おかあさん、よかったね、誕生日が来てさ」と言われた。誕生日がひたすら輝かしい人の発想で、良いなと思った。でも良かった、今年も良い誕生日が来て。

なんてこの数日の色々なことを思い出しながら、久しぶりに電車に乗って、隠れ下肢静脈瘤というものを見てもらいに病院へ行った。幼稚園のお弁当がやっと再開して、少し遠い病院に行くという当たり前のことがやっと気楽にできるようになった。

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