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『写真を撮る』

 君は写真を撮るのが好きだった。それも変なものばかり撮る。道の端に乱雑に並べられた植木鉢や、河原に打ち捨てられた古い自転車や、早朝カラスにつつかれて散乱した裏通りのゴミ。そんなものを見つけた途端に君の目はきらきら輝いて、前のめりになりながらスマホを構えるものだから、僕はそのたびにびっくりしたものだった。だって、写真ってもっと美しいものを撮るだろう? 例えば高く晴れ上がった青空やオレンジ色の夕日とか、ブロック塀を歩く猫とか。でも僕がそう聞くと、君はにっと笑って言った。「あたしはこの世の秘密を見つけて撮ってるの」と。

 もちろん君は僕たちふたりの写真もよく撮った。スマホのインカメを使って、お互いの側頭部と肩を押し付け合ってたくさんの写真を撮った。僕は自撮りというものにいつまでも慣れなかった。君は画面の中の僕のぎこちない笑顔を見ると必ず大笑いをして、それを見ていたら僕まで笑ってしまって、そんな僕の顔に君がもう一度スマホのカメラを向けて、ああ幸せとはこういうものだと僕は生まれて初めて知った気がした。

 悪戯好きな君は、よく僕の後姿や寝顔を隠し撮りしていた。君は僕が気づいていないと思っていたのだろうけど、僕はちゃんと知っていた。ついでに白状すれば、僕もこっそり君の写真を撮っていた。君は気づいていなかったと思うんだけど、本当のところはどうだったかな。まあ僕たちは似たものカップルだったということだ。

 それほどに写真好きな君だったけど、あるときを境にぱたりと撮らなくなった。すぐに退院できるはずが予想以上に入院生活が長引いて、病室の外にさえ出られなくなってしまったのだから、それも仕方がないことだった。でも僕は焦った。君の中から大事なものが急激に抜けていくのがわかったからだ。だから僕は君を元気づけようと、スマホの中に保存した過去の僕たちの写真を見せた。前に行ったこのカフェ良かったよね。退院したらまた行こう。そんな薄っぺらな話を必死に重ねていると、君は突然スマホを奪い取って床にたたきつけた。
 ――そんなものは見たくない。
 君の瞳からぽろぽろ涙が溢れだしても、僕は言葉をかけられなかった。そのときになって初めて、君のために出来ることがひとつもないことに気が付いた。そのまま病室を追い出されて、何時間も廊下に立ち尽くして僕がやっと思いついたことといえば、一眼レフのカメラを買うことだった。本当にまぬけで救いようがないと自分でも思う。でも君も僕も写真を撮らなくなったら、何かが決定的に崩れてしまうような気がした。君が撮らないなら僕が撮るしかないと思った。

 本格的なカメラで写真を撮り始めた僕を、君はもう何も言わなかった。道端に咲いた花とか青空にぽっかり浮かんだ雲とか公園で暇そうにしているハトだとか、僕に撮れるのはそんなものだった。君は「へたくそ」と言いながら、それでも一枚一枚目に焼き付けるみたいに見てくれた。ベッドから起き上がれなくなっても、声を出せなくなっても、君は必死に目を開き、僕が写してきたものを見ようとした。だから僕は、この世界の中の美しいものを探さざるを得なかった。君に支えられていたのは僕だったというわけ。君は最後まで実にいい女だった。

 結局僕は、この世の秘密を見つけ出して君に教えることはできなかった。君みたいに才能がないから仕方がない。それでも僕はこれからも写真を撮る。君がいなくなったこの世界の中で、君が残したかけらを集め続ける。君の瞳の輝き、前のめりの後姿、ときどき音程が狂うかわいい鼻歌、君の唇にキスを落とした時の恥ずかしそうな微笑み。それらによく似たきらめくものを世界の端っこから手繰り寄せながら、僕は何度でもシャッターボタンを押す。
(了)