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猫窟

猫カフェに行ってきた。
友達ののあさんが地元までわざわざ訪ねてきてくださったので、2人で行った。
JR東西線中野駅から20分程歩いたところに『保護猫カフェ ミャゴラーレ』はある。

猫エサの香りが漂う店内には、そこら中に猫がいて、寝たり、歩き回ったり、走ったり、じゃれあったりしている。10匹程の多様な容姿の猫が、すぐそばで、生きて、動いていた。

すぐ側にきた猫を撫でると、柔らかな毛の奥に肉があって、背骨があることが分かった。首元は肩の骨が出っ張って双丘を成しており、触るとコリコリしている。横になっている猫は、肺の動きに合わせて胴体が膨縮している。

依然として猫を撫でながら、
こいつら、めちゃくちゃ生きているぞ…!と思った。人類以外と暮らしたことがない人間は、人類以外が生活している様子を間近に見ることがないので、それだけで物凄く感動する。
そこら中にいる猫を眺めながら、とんでもない感慨が襲ってきた。なんというか、ここに居る猫達がそれぞれ生きて、寝たり、走り回ったりしている事が、何にも代え難い、素晴らしい奇跡に感じる。

以前、「アフリカの部族に思いを馳せる」というノートを書いた。あれは
『自分と全然関係ない場所でシンプルに生きている人達がいることを考えると、世界が案外悪くないように思える。』
的な文章であったが、アフリカでも何でもなく、こんなところに、シンプルに生きている者たちがいた。猫は、人間になんの関係もない場所で、寝たり、動いたりして、生きている。
眠っている猫の顔を見ていると、気配を感じるのか瞼を開き、こちらを見つめ返してくることがある。関心があるともないともつかない目線で。俺が居ても居なくてもこいつにとっては関係の無いことなのだ。
なんて良い生き物だろうと思った。
これは、猫の容姿とか以前の問題なのである。
確かに猫は容姿が可愛い。美しい。
しかしそれは、猫の生き様に付随するものであって、猫が、「猫然」とした態度でいるからこその愛らしさなのだ。

猫たちが、なんにも考えず、ただ生きていられる世界があってよかったなぁ。

そんなことを考えながら猫を眺めたり、撫でたりしていると、他の客がぽつぽつ入店してきた。

あるおばさん客が、猫じゃらしを用いて猫と遊びはじめた。若い猫2匹に猫じゃらしを使うと、元気に飛びついてくる。おばさんは猫じゃらしを小刻みに揺らし続け、猫達は食らいつき続ける。
満悦そうにおばさんは揺らし続ける。猫は一所懸命に食らいつき続ける。猫がそっぽにいくと、おばさんは新しい猫を求めて徘徊を始め、また別の猫を撫でたり猫じゃらしで誘惑する。猫というのは猫じゃらしにめっぽう弱いらしく、無視ができない、無限に構ってしまうのだ。

「なんて身の程知らずで、下品なんだ!」

と思った。おいババア引っ込め!猫が疲れるだろ!
猫カフェの猫はお前付きのホステスじゃないんだぞ!!人間の通貨を支払った位で猫に無制限に干渉して良い訳ないだろ!
お前が猫をただの愛玩動物と思っているなら、今すぐ猫愛好家的な面を辞め、「愛玩動物としてすきです」という標識を首からぶら下げて入店しろよ!!!おバカ!自己中心的な人間!!!

とまでは、思わなかったが、猫と触れる快楽を優先するがあまり、猫と、人類。という立場を忘れ思い上がり、猫が「猫」であって、猫として生きる権利があることをすっかり忘れて快楽に没頭している様は非常に醜く映った。

少しづつ落ち着きを取り戻し、周りを見渡した時、ギョッした。

猫カフェにいる人間皆、うっとりとした様子で猫を眺めたり、撫でたりしている。全員が周囲には目もくれず、完全に自分と猫の世界に入り込んで、なんとなくぼーっと、浮世離れした佇まいでいる。

「21世紀の阿片窟だな」
と思った。

ガリガリに痩せこけ、ぐったりと椅子によりかかる辮髪の男達の絵が脳裏に浮かんだ。

『保護猫カフェ ミャゴラーレ』の客は皆それぞれ、うっとりと官能に浸っている。そして店の主人はゆったりと店内を徘徊しながら、猫の快楽にすっかり骨抜きにされてしまった客を見ているのである。

猫カフェに来る前僕が想像していた
『お客は猫の挙動に対しいちいち騒ぎ、写真を撮り、店員がそれをどこか満足気に眺める』といったものとは全く異なり、実情はただ阿片が猫に取り変わっただけの「猫窟」であった。
猫を静かに眺め、一心に撫で、猫じゃらしを小刻みに振る。猫に取り憑かれた猫中毒者が、猫を摂取しに集う、思いのほか湿度の高い欲望に満ちた場所だった。

猫カフェというのは、人間の理性を壊してしまう、恐ろしい場所だ。距離感を保ちつつ楽しむべきだなぁと思った。

寝ている猫を撫でていた僕の膝に、猫が1匹座った。戸惑っていると、子猫がまた2匹寄ってきて、膝元に寝転がった。左腕の上に猫が座ったため身動きが取れず、残った右腕は所在を無くしただ猫を撫でるしかない。何だこの状況は。猫に囲まれてしまった。
何にもできない。困った。

周りの客が、嫉妬の眼差しでこちらを見ている気がする。「何故あいつの周りにばかり、猫が集まるのよ…」と。
自分もどことなく誇らしげな気分になってくる。

『す、すみません皆さん、コイツら、ホント、馬鹿なんです…ちょっと!他のお客さん困ってるでしょ!あたしのところばっかり来てんじゃないわよ!バカ!もう、後で相手しってあげるかっらっ!!(猫達の背中を思い切り押す)』

少女漫画に於ける困惑風マウント。
あれを今やりたい。

な、なんだこれは。どうしよう。
猫をただ撫でることしか出来ないぞ。
左腕に猫のお腹の柔らかい感触。
ふかふか動いてあたたかく、気持ちいい。

あれ?これ「タカヤ -閃武学園激闘伝-」のこのコマじゃない?

「つーかあの…お、お腹があたってるんですけど…」

猫は僕の膝の上でスヤスヤ眠っている。

うわぁ、子猫が、子猫が指を!カリカリ噛んでるよー!痛、痛い!コラ!…コーラ!笑

なんなんだろうか。こいつは落城寸前だということがちゃんと分かっているんだろうか。
あー猫かわいー。カワイーなんだこの生き物ー。単純に可愛〜あーダメだ。猫が完全にかわいい。ダメだこれは。頭がおかしくなる。

もう、完全に「猫堕ち」した。

あーダメだ。猫が完全にかわいい。ダメだこれは。頭がおかしくなる。

という先程の文言は「みさくら語」に置き換えて頂いて全く構わない。

僕は完全に、高校まで散々バカにしていた「猫に骨抜きにされている人間」であった。
情けない。反猫談義で盛り上がった後輩に合わせる顔がない。

猫には勝てなかった。

当初滞在予定の1時間はいつの間にか過ぎていたため、自動延長制に則り2時間たっぷり居た。保護猫カフェミャゴラーレは店内で流れている音楽(何故かHOUSE調)も、置いてある漫画もすごくハイセンスで、猫も非常にかわいく、客層も落ち着いていて、しかもフリードリンク制の素晴らしいお店だった。保護猫カフェという点も愛があって良い。

ポイントカードを作ったので来週また行こうと思う。

はぁ。

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