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35日間おフランス一周~歴史研究・現地調査~前編

自己紹介とざっくり概要

さて皆さん、ボンジュ~ルでございます。'09年 比較文化専攻・ベトナム語卒の松岡怜奈(旧姓・高田)と申します。
生まれも育ちも大阪で、自ら名乗ったニックネームは「おっさん」。
本物の"おっさん"である先生方をして「おっさん」と呼ばしめていた、逆パワハラ系学生でした。
 
何を調子こいて「ボンジュ~ル」とか言うとんねん、ちゅう話ですが。
アラフォーの手習いで、フランス語をちょびっとかじりまして。
「ありがとう」「すんません」「美味しい!」しか言われへんのに、35日間一人でおフランスに行って参りました。目的は歴史研究の現地調査
 
「ちょっと何言ってるか分からない…」そんなアナタ。ですよね。
少々カロリー高めな文章となっております。
おビールでも片手に、斜め読みしてもらえたら嬉しいです。


きっかけは、Twitterで流れてきた一枚の写真

時は2020年。コロコロ系ウイルスが世の中を席巻していたころ。
スマホ見ながら、喫茶店でプリンを食べていた私。
Twitterのタイムラインを一枚の写真がどんぶらこ、と流れて参りました。
 
「1863年、フランス、パリに派遣されたベトナム人女性。」というキャプションとセピア色の写真。
何やら知的な顔つきの女性が、アオザイらしきものを着て写っています。
 
「1863年て、ベトナムは"最後の王朝"、グエン朝の時代やろ…?」
「女性が…パリに派遣…??」
「え、ちょっと ありえへんのとちゃう??」

プリンは、かためが好きです。


取り憑かれたように調べ始めて、早2年

「Youは誰なんや!?」とにかく気になり、検索しまくりました。
すこ~し分かってきたのは、以下の内容。
 
・女性の名前はMarie Vannier、1822年ベトナム・フエ生まれ。
・父はグエン朝独立に貢献した、フランス人海軍士官で後に出世。
初代ザーロン帝、二代ミンマン帝に30年あまりにわたって仕えた。
・母はカトリック教徒のベトナム人女性。
・1824~25年にベトナムからフランスへ一家で移住。
・1863年にベトナムからパリにやって来た使者団と、ベトナム人母・Marie Vannierが面会。
(※キャプションの「パリに派遣された」は誤りでは?と思われます)

私の研究テーマ、Marieさんです。

そこから、恩師の清水先生にフランス語で書かれた先行研究を見つけていただいたり、フランス関係の大先生をご紹介いただいたりしているうちに、なんやかんやで2年経っていました。


思い出させてもらった、昔の夢

検索するだけでは飽き足らず、いつしか「研究したい」と口から出るようになりました。
問いを立てて、資料を集めて検証し、自分なりの結論を導き出して、形にしたい。
 
大学院への進学に憧れていたのを思い出すことにもなりました。
しかしながら、就活に臨んだ'08年ごろは、学生側が売り手市場。
当時は就職と経済的な自立を優先。
 
ありがたいことにクビにもならず、サラリーマンをやらせてもらい、色んな経験を積ませていただきました。
 
10年ほど経って、いわゆる"心の風邪"をひきました。
これから自分が何をしたいのかも分からない。
 
そんなときに出会ったのが、この写真でした。


大先生からのご神託ならぬ、ご助言

立てた問いは、「写真の女性Marie Vannierは、どんなアイデンティティをもっていたのか?」
 
それを知るためには「本人または兄妹が書いた手記や手紙を探さなければ厳しい」「一族ゆかりの地を訪ねて、聞いて回るしかないでしょう」というご助言を大先生に頂いていました。
 
そのようなものが実在するのか?残っているのか?いや、そもそも誰が持ってんのやろ?
とりあえず、ご子孫を探してみる?どうやって?
かじったとは言え、フランス語なんてほぼ喋れませんけど…。


いざ、フランスへ

2022年、夏。タイミングが来たのです。
フランスの水際対策が緩和され、今なら行ける!自由度高く、動き回れる!
 
約100年前に書かれた先行研究を読んで、当たりをつけた数都市を訪問してみることに。
古文書館や図書館、市役所を中心に回って、ご子孫についてもヒアリング。
運が良ければ、何か手がかりがつかめるかもしれない…。
 
という、思いっきり出たとこ勝負!!
 
でも、今行くしかない!そう思い込んで、久々にパスポートを握りしめて空港へ向かいました。
快く送り出してくれた、夫や家族には感謝してもしきれません。

画像はネットよりお借りしました。


7月14日の奇跡

ロクにフランス語も喋れない、平たいアジア顔にメガネの私。
東南アジアでは、高確率で現地の方に「おかえり」と言われます。
おフランスでは、そうは行かん。それはもう塩対応を覚悟して、身構えておりました。
 
ブルターニュ地方の小さな町、Pont-Scorffに到着したのが7月14日、革命記念日のこと。
頼れる知り合いはおらず、祝日でどこも閉まっているし、そもそも人通りがほとんどない。
 
良いお天気の中を一人でフラフラしておりましたら、たまたま通りがかった小さな美術館が開館していました。
 
「ボンジュ~ル!」
言うだけタダで、タダでは転ばん関西人魂がスパーキング
 
べっぴんのお姉さまが、熱心に話を聞いてくださいまして。
「この町の歴史を知りたいのね。そんなアナタにピッタリの人がいるから、紹介してあげる!」その場で、電話をかけてくれました。
 
美術館から徒歩30秒の、豪邸にお住まいのマダムをご紹介いただけたのでした。
 
この日を境に、めちゃめちゃお世話になったお二人。
あのタイミングでの出会いは「7月14日の奇跡」だった、ということで盛り上がりました。

めっちゃお世話になった、お姉さんとマダムと。 一番右が私です。


新聞記事に

「あなたがフランスまで来て調べていることは、とても価値あることよ!これは記事にするのが良いわ。よし!明日の朝10時にウチへまたいらっしゃい!!」
小柄なマダムの、80代なかばとは思えない迫力に気圧されるようにして、素直にうなずきました。
 
翌朝伺うと、マダムに呼び出されたと思しき記者の方がお二方。マダムとお姉さんがワーッとフランス語で、色々と説明をしてくれたので、私が答えたのは3つの質問だけでした。

バッチリ実年齢入りです。

立派な記事にしてもらえて、新聞にも載せてもらえたようです。ありがたや…。
 
そして、この新聞記事がある種の"身分証明書"、"通行手形"のようなものになってくれて、この後の旅程で色んな扉が開いていくのでした。


3回キャンセルされたホテル予約

ブルターニュ地方を回って、7月末に南仏へ。そろそろホテルを予約せねば。宿探しのセンスが光る夫に、遠隔でヘルプをお願いしました。
テレビ電話をしながら、調べてくれた宿を某予約サイトで申込み。
 
普通、「予約がとれました」って確認のメールが来るじゃないですか?
届いたメール曰く、「予約がキャンセルされました」。
 
♪違う、違う、そうじゃない。鈴木雅之ばりに歌い出したいのをこらえつつ、私は予約を入れたいんやと再度同じホテルの予約を申し込みました。
 
からの、「予約がキャンセルされました」二回目。
夫のアカウントで申し込んでも、「予約がキャンセルされました」。
 
三度目の正直でもアカンちゅーのは、きっとなんか違うんでしょう。
気力も使い果たし、別日に何とか自分で調べることに。


そして導かれて

今日こそ宿の予約をせんとヤバい。しかし、どうしたもんか。
訪問予定場所のリストを見直していたところ。
 
「この住所の近くって、何かあるんかな?」
今更ながら、Googleマップに住所を打ち込んで調べてみると、真横にホテルが。立地も良い。宿泊代もお手ごろ。
 
「え、ここ一択やん。」
恐る恐る予約を入れてみると、スルッと取れたのでした。


ご子孫に…会えた…!!

「奇跡」を連発するのは、いかがなものかとお思いですか?
はい、私もそう思います。
しかし、これはもう「奇跡」としか、言いようがないんです。
 
スルッと取れたホテルで、あれこれ聞いてみたところ。
ホテルの気さくなマネジャーが「ちょっと待ってて!そこの管理人と知り合いだから、聞いてくるよ。」と、朝から颯爽と向かってくれました。
 
半袖・短パン・ビーサンという出立ちで、管理人のオッチャンが登場。
「あんだって?この名字の家族を探してる?20分待てるか?電話してやんよ。」
 
待ちます、待ちます。そんなん、なんぼでも待ちます。
ソワソワしながら、ホテルのロビーで座っていると…。
 
「おい、ねーちゃん。この人が、あんたが探してた人だよ。」
管理人のオッチャンの隣には、"何で連れて来られたのか分からない"と顔に書いてあるムッシュがいらっしゃるではありませんか。
 
え…ちょ…電話するって…ていうか…連れて来てるやん…!!!!!
ごごごご子孫、おったーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


後編へ続く!



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