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#48 不適切でなければ適切なのか。適切でなければすべて不適切か。

保育現場の「不適切な関わり」のとらえ方について、モヤっと感じる部分を私なりに整理してみました。


昨年から、保育現場での不適切な環境や関わり、虐待が報道されることが一気に増え、当事者である子どもたちや保護者、保育者のことを思うと胸が苦しくなります。

この状況になって、国からは放置されていた「配置基準の見直し」にも注目が集まるようになりました。

“国からは”としたのは、ずっと現場からの声は上がっていましたし、見直しのためにアクションを起こし続けてきた人たちがいるからです。国よりも手厚い配置基準を定めている自治体もあります。

私自身も過去に、不適切な関わりが当たり前のように行われている現場に介入をした経験があります。そんな中で、子どもたちを守るために環境を変えたいと願って行動を起こそうとする職員たちと奮闘していました。

当時は、自治体に報告しても相手にされず、本部の方と話し合いを重ねても具体的な改善までには時間がかかり、無力さを感じた日々がつづいたものです。


国の配置基準の改善が、不適切な関わりを減少させるのか?

ただ、実際に不適切な関わりが起こっている現場では、人手の問題以前に、環境設定が子どもの実態に沿っていなかったり、応答的な関わりや細やかな配慮について理解できていなかったりするなど、そもそもの専門性の未熟さ(あり方・知識・技術・知性などを含む)がありました。

国の配置基準は「子どもにとって望ましい環境」をつくる保育の営みには、いま一歩届かない基準なので見直しが必須なのです。例えば、災害時に子どもの命と安全を守ためには、現行の配置基準では困難さがあります。

しかし、不適切な関わりや虐待は、先述したように配置基準の見直し以前の問題が背景にあるケースが多く、例え保育士が増員されたとしても、子どもの最善の利益が保障されない恐れがあるのではないかと思います。

配置基準の見直しは必須です。しかし、報道に出てくるような現場は、配置基準の改善とは別の取り組みが必要になっているのです。

そういった現場の一方で、現行の配置基準でも環境の設定で一人一人を尊重しようと試みており、あとは人手があれば本当の意味で子ども一人一人を尊重した保育を実践できるという段階の現場とが、ごちゃ混ぜになっていないかという懸念が私のなかでモヤモヤしていたのです。

そこで、保育者の関わりの段階について整理してみようと思いました。

こんな単純な分け方で表現しきれるものではないとは思いながら、noteを書く過程で深まっていったらいいなとも思い、今の段階で公開して残しておくことにしました。

段階別「保育者の関わり」の考察

報道が過熱していくなかで、不安が膨らみ、「これも不適切なの?」といった嘆きのような保育士の声を聞くことがあります。

これまで当たり前になっていた関わりを見つめ直し、子どもにとって本当はどうなんだろうか?適切な関わりってなんだろう?と、前進を生む契機になるならいいのですが、必要以上に怖さを感じていたり、不適切と言われることへの抵抗感や嫌悪感から「見ようとしない」という状況も起こっているケースもあります。

また、不適切な関わりを「配置基準のせいだ」と言わんばかりに正当化しようとする保育士もいるようです。そういう現場では、人が増えたとしても変わらない問題はありそうなものです。

一方で、あと1人保育士がいたら、子どもの声をもっと聴いて、子ども一人一人に寄り添った保育ができるのにといった状況があります。

そこで、適切な関わりや環境と、不適切な関わりや環境の「間」の領域について考えてみることで、何か見えてくるものがないかを模索していました。

適切と不適切の「間」

保育士の配置や労働環境など、構造の問題もあって、子どもにとって望ましい適切な関わりをしたいと願いながら、保育者主導の生活をせざるを得ない場合などがこの表で言うと「b」のゾーンになります。

「子どもにとって」の視点に立ち、権利の保障など保育士の認識は子どもの育ちに沿っているが、環境要因(保育士の人数、見直しの必要な業務状況、労働環境の問題など)で実現できていない状態とも表現できます。

子どもを差別したり、傷つけたりはしないけど、子どもが楽しさを味わっているようで質的には管理やコントロールの濃度が濃かったり(こうなると「c」の要素も入ってきている気がしますが)、放任にはなっていないけど「子ども主体の保育」と言えるような環境の手前の段階になっているなどが「b」に該当するかと思います。

単純に切り分けられず、同じ現場でも、その時々で、「a,b」が混在していたり、時に「c」の関わりがあって、その都度向き合っているような状況もあるでしょう。

「適切」と「不適切」とは?

「a:適切」ゾーン

例えば、子ども一人一人の人権と主体が尊重され、安心と信頼を十分に感じ、自己を発揮しながら、主体的に環境に関わっていける保育の営みを「a」ゾーンと仮定します。

そこでは、子どもの権利が保障され、子どもの「自ら育つ力」があふれ出しています。

つまり、子どもが現在を最もよく生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎が培われるわけですね。

仮に「a」適切のゾーンを「子どもにとって望ましい環境」としてみます。

「c:不適切」ゾーン

一方で、不適切な保育の定義や分類は、以下が参考としています。

「不適切な保育」とは、「保育所での保育士等による子どもへの関わりについて、保育所保育指針に示す子どもの人権・人格の尊重の観点に照らし、改善を要すると判断される行為」とする。

不適切な保育の未然防止及び発生時の対応についての手引き|(株)キャンサースキャン

不適切な保育の行為類型: 不適切な保育の具体的な行為類型としては、例えば、次のようなものが考えられる。
1 子ども一人一人の人格を尊重しない関わり
2 物事を強要するような関わり・脅迫的な言葉がけ
3 罰を与える・乱暴な関わり
4 子ども一人一人の育ちや家庭環境への配慮に欠ける関わり
5 差別的な関わり

不適切な保育の未然防止及び発生時の対応についての手引き|(株)キャンサースキャン

虐待や、本来避けるべき関わりや不適切な関わりは「マルトリートメント」と呼ばれています。

マルトリートメントとは?

WHOのチャイルド・マルトリートメント(Child Maltreatment)の定義は、身体、精神、性虐待そしてネグレクトを含む児童虐待をより広く捉えた、虐待とは言い切れない大人から子どもへの発達を阻害する行為全般を含めた不適切な養育を意味します。

マルトリートメント(避けるべき子育て)が子どもの脳の発達に与える影響について

「教室マルトリートメント|東洋館出版社」内の定義を参考に、保育現場に当てはめて、「保育現場のマルトリートメント」を定義してみると、

保育現場における保育者(保育士をはじめとして、保育補助・看護師・栄養士・調理員・事務員・園長など関係者全て含む)による不適切なかかわりや本来であれば避けるべきかかわり

となります。


参考|養護教諭のための児童虐待対応の手引 第2章 児童虐待の理解

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/05/21/1233279_005.pdf


「a」適切とはまだ言い切れないけど、「c、d」不適切、虐待のような関わりも見られないゾーン

仮に「b」を、不適切な関わりはしないが、望ましい環境とまでは言えないと設定してみます。

「b」のゾーンで踏ん張っている現場では、配置基準の見直しが起こると、本当はもっと聴きたかった子どもの声をもっと丁寧に聴けるようになるかもしれません。もっと一人一人に寄り添った生活にしたいという願いが叶うかもしれません

構造的に「b」のゾーンでの関わりをせざるを得ない状況で、子どもの育ちにとってよりよい環境を考えたときにこのままでいいのだろうかと試行錯誤を続けている現場では、状況が好転していく可能性が高まります。

配置が充実することでこそ、新たにぶつかる壁もありますが、「b」から「a」のゾーンにいくために尽力してきたチームなら乗り越えられるはずです。

そういった現場と、「c」不適切「d」虐待が横行している現場は、分けて扱う必要があるのではないかと思い、今回はこういった整理にトライしてみました。

「自分たちは大丈夫!」と慢心することなく、自園の保育環境、自身の関わりを振り返り、繰り返し見直していく。この到達点や終わりのない営みを、子どもの最善の利益が保障された状態でつづけていくこと。

これも私たちの専門性です。

探究スタジオーvol.48ー 2023年3月23日

【参考】
「子どもの権利条約」とは?|ユニセフ
令和2年度子ども・子育て支援推進調査研究事業報告|(株)キャンサースキャン
子ども虐待対応の手引き|厚生労働省

↓探究スタジオの購読してくださっている皆さんには、このnoteを書く前のメモを公開しています。

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私にとっての「保育」という存在にも向き合っていきたい。子どもにとっての「保育」も、保護者や社会にとっての「保育」も考えていきたい。その営み…

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