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第16回 「倉橋惣三に学ぶ|保育案の立案度と徹底度」

『幼稚園真諦|倉橋惣三 著』

読むたびにあふれる気づきや学びを書き留めていきたいと思います。

この本は、昭和8年(1933年)夏の

「日本幼稚園協会保育講習会における講演の筆記」となっています。

実践からきている内容であることを踏まえると、およそ100年前の状況を見ることができると言えるのですが、知らずに読んだとしたら、現代に書かれたものだと思うほどに時を越えて響く内容です。

第16回は、

保育計画を扱う度合いについて

語られています。

第2編-6「保育案の立案度及び徹底度」

八百屋の遊びの中や水族館遊びの中で、観察や製作があり、いかとたこの違いを観察したり、きゅうりやなすの製作をしたりするのにも差異を知ることが求められるのだが、その前の肝心なところを立案しないと、割り当てられた業務のようになると倉橋は言います。

やはりその中で充実指導も行われていくようにしなければいけないと。

充実指導については第5回に書かれています 〉

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例として、七夕祭が出てきます。

色紙の切り方、並べ方も保育の一つの事項ですが、それと七夕祭とは全く違ったはんちゅうに属することであります。七夕祭は生活の主題です。(P86)

年齢に沿って、どういうことをするのかを考えていく面もあるのだが、個々の事項は生活の中のものである。誘導保育案(子どもから出発する子どもが主体的に生活する長期的な計画で常の軸となるもの)では、保育事項の前に生活がある。生活の方に保育事項を当てがっていくとのことです。

生活を切って、保育事項を入れ込んでいく保育案が現在でも行われている現場もあるのでしょうが、本来の保育案の目的とは離れているように感じます。生活を抜きに良さそうな保育事項を入れていく方が簡単で、子どもが喜ぶからオッケーと、専門性の認識がずれることも起きやすいので、なおさら、生活と保育事項の関係を探究していくことは、いつの時代でも必要なことなんだと思います。

誘導保育案については第13回に書かれています 〉

保育案をどのように扱っていくのか?

子供は目的からは自由にさせて、そこから後は充実指導でいくのです。そうでなければ生きた保育になりません。(P87)

充実指導ですので、倉橋がここで言うことは、以下がポイントになってくると思われます。

・子どもたちが、自己充実出来ているかどうかというところに重きをおいて指導する
・子どもが自分の力で、充実したくても、自分だけでそれが出来ないでいるところを助け指導する

しかし、当時(昭和初期)の実際のところは、

保育案というものが、しばしばお役所への報告のために作られたりします。ところが保育案を出せというお役所では、保育事項がいきわたっているかどうかを調べたいのですから、遊戯ばかりやっていはしないか。暑いものだから睡眠保育ばかりやってはせぬか。ということを心配して調査するのですから、保育事項が偏らずに行なわれていさすればいいのです。(P87-88)

それはそれとして必要なのだから、報告用と本質的な保育案を分けてこしらえちゃおう!というのが倉橋の提案です。

これをインチキのように捉える人もいるかもしれないが、そうではないと。報告用の落ち度なく行っている保育事項は量として必要なこと。本質的な生活に対する保育案は量よりも形態なので、簡単に量的な表にして示せないということです。

あてがいぶち保育案だったら、書かれている一つ一つをその通りに子どもにさせればいいのだが(2020年に現在進行形でこうしている園もあるのでしょう)、誘導保育案は動いているので、必ずしもきっちり何と何をさせるということが指示されていない。

案(計画)を子どもに徹底させるのではなく、案(計画)に子どもがどうついてくるかによることなので、そうそう厳密には決められないのだと倉橋は主張します。

もしもここに、子どもの生活にぴったり合った保育案が出来て、それが巧い具合にきちんといくものでしたならば、その保育案の徹底度が強いといえます。しかし、こちらではいいつもりで立てた誘導保育案が、子供にはどういうわけか十分深い注意を引き得なかったというようなときには、そうそう強い徹底を要求することは出来ません。(P88)

保育案の徹底とは、子どもをコントロールするものではないということ。その日の子どもの状態で、徹底度を加減することは止むを得ないこと。ここが小学校以降の教育と違うところだと言います。

子どもがもっとやろうやろうと言って、想定以上に展開が広がったり深くなったりすることもあれば、その日の興味に十分沿わないこともある。

一日一日が機械的に成功しないところが、幼稚園の生きているところと言えることもありましょう。(P89)

しかしながら倉橋は、

「毎日成功するような誘導保育案(子どもから出発する子どもが主体的に生活する長期的な計画で常の軸となるもの)を工夫しなければいけないし、出来るはずのものです。」

とこの章をまとめています。

容易ではありませんが、ここに挑んでいきながらも、幼稚園や保育園が子どもの「生きる場所」であるからこその揺らぎを何より大切にしていきたいものです。

ー第17回に続くー

倉橋 惣三|くらはし そうぞう
1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年)
静岡で生まれ小学生のときに上京。
フレーベルに影響を受け、日本の保育や幼児教育の礎を築いた人物。
日本での“幼児教育の父”、“日本のフレーベル”と呼ばれている。
食べることが好きで、幼稚園真諦の本文中に出てくる例えでは、「食事」が用いられることが多い。
享年72歳。

[参考文献]
・倉橋惣三 「幼稚園真諦」(フレーベル館・1976年初版発行)


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