楽をすること、妥協すること【楽をするとき、しないとき】
こんばんは。ほほえみです。
皆さんは「楽をする」のが好きですか?
とは聞いてみたものの、「楽をするのが大嫌いです」という人はなかなか珍しいかもしれません。
私の答えは・・・・・・
院試の勉強に毎日励んでいます。
参考文献を読んでいる時、「このやり方簡単そうだな~」とか「これは楽そうだな~」とか思うこともあります。
「正直やろうと思えば楽もできるな」
「頭も疲れたしな」
こんな時思い出す言葉が
「水は低きに流れる」
という言葉です。
紹介しておいて申し訳ないですが、この言葉の出典とか、どこで知ったとか、具体的なことは全然思い出せません。
私のぼんやりした記憶によると、水が低いところに流れていくように、人も楽なほうに楽なほうに流れてしまうという意味だったと思います。(この意味が本当は違う意味だとかいう記憶もぼんやり……)
とにかく、特に疲れているとき、人はどうしても楽をしたくなるものです。
でも、「○○を明らかにする」という目標を達成するためにいろいろ調べたりしているのに、ここで楽をしていいのだろうか。
自分がやりたいことをしているとき、目的を達成しようとして努力しているとき、「楽をする」というのは「妥協」ではないか?
「楽をする」と「妥協する」って紙一重ですよね。
正直「楽をする」のって簡単だし、文字そのまま「楽」だし、疲れた時にはとても魅力的に思える。
でも、「本気で何かに取り組んでいる」、その対象に対してはどんなに疲れていても楽をしてはいけないのかもしれません。
なぜなら、それは「妥協」だからです。
後から絶対後悔する。後から絶対それに起因した問題が起こる。
そんな気がする。
「いつでも本気で取り組み、楽をしてはいけない」そういう話ではありません。
今の自分にとって、それにかかわる誰かにとって、許されるレベルの「楽」なら、自分を守るためにも多少は仕方ないのかもしれません。
いつも本気で全力で生きるなんて、できるのはほんの一握りだと思います。一つのことに一心に取り組む環境がある人にしか難しいです。
日々いろいろなことに追われて、いろいろなことを同時にこなさなければいけない私のような一般社会人にとって、全部全力はさすがに無理。
だとしても、「これだけは」と決めたものに対してだけでは妥協してはいけない。楽をしてはいけない。
たとえそのほうが早くても。そうほうが美しくても。そのほうが楽でも。
院試の勉強をしていると、何度も何度もくじけそうになります。社会人が独学で本を片手に院進準備。同じ経路をたどった先輩もおらず、社会人院進した友達もおらず、恩師の専門分野からも微妙に外れているという私の研究をどうやっていけばいいのか、毎日不安です。
だから、妥協したい!
嘘です、妥協したくない。
私の研究だけは絶対に妥協しないと今誓います。
他のことに関しては適度に楽をしながら、日々を過ごしていくことにします。
「大切なことは妥協しない」
(ほかのことは多少楽をする)
そんな気持ちをもって、少しずつ前進していきたいと思います。
この気持ち、忘れないぞ。
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