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考えごと日記。

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2024年6月の記事一覧

考えごと日記 その36 「孝明天皇と徳川慶喜の信頼関係とは?」

考えごと日記 その36 「孝明天皇と徳川慶喜の信頼関係とは?」

元治元(1864)年7月、徳川慶喜は長州藩による脅しから朝廷を保護するため、薩摩藩や会津藩など各藩の指揮を一手に引き受けてリーダーシップを発揮したとある。世にいう「禁門(蛤御門)の変」だ。そっかぁ、ここで慶喜は孝明天皇の信頼を不動のものにしたんだなぁ。

結果は長州藩の大敗。慶喜はこのときの活躍で孝明天皇の信頼をガッチリとつかむ。また同じく帝の信頼を得ている人物、岩倉具視はこのとき蟄居の身。岩倉と

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考えごと日記その35 「237年ぶりが意味するものとは…」

考えごと日記その35 「237年ぶりが意味するものとは…」

文久3(1863)年、孝明天皇は京に上洛した将軍徳川家茂を従えて、攘夷の成功を祈願するために賀茂社へ向かった。

……のだが、おどろくことに天皇の行幸(外出)は、この時なんと237年ぶりなのだそうだ。つまり237年もの長い間、徳川幕府は天皇の外出すら許さずに御所に閉じ込め、ずっと朝廷を支配してきたのである。うへぇ〜〜〜ッ。

それを逆転させたのが岩倉具視だ。和宮の降嫁である。この時期、幕府の権威は

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考えごと日記その34 「徳川慶喜の功績を考える」

考えごと日記その34 「徳川慶喜の功績を考える」

徳川慶喜は結果としては残念ではあったが、やろうとしたことは本当に立派であった。「慶喜が大政奉還したからこそ、明治維新が成就した」といっても過言ではないのである。

慶喜の考えた大政奉還は「自らが指導者となって開国を成し遂げ、西洋型の近代的議会政治へ転換すること」だった。慶喜は議会中心の新しい政府、新しいニッポンをつくるために自ら大政奉還し、平和的に改革を進めようとしたのである。

そもそも異国を追

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