どうする?負動産の実家7 実家じまい
実家じまいと周囲の反応。
2016年11月。
救急車が来たことで、父の入院は近隣に知れ渡っていたので、実家に滞在して、父の入院先に通うわたしに、近隣の方が「お父さんの具合はどう?」
とよく声をかけてくれました。脳梗塞による父の緊急入院の経緯はこちら。https://note.com/hoho1064/n/n44db3ac9ea7a
粗大ごみの日に、自力で運べる限りの、タンス、本棚、電話台、パソコンデスクなどの家具、農機具などを実家の前に並べていると、収集車が来るまでの間の、目立つこと、目立つこと。
田舎のことなので
「親が入院した直後なのに、あの娘は片付けをはじめてしまって…」
と白い眼で見られているのかなと思ったのですが、できるだけ元気よく、
「必要なものがあったら、何でも持って行ってくださいね!」と声かけをしてみました。
近隣の方が、かなり持ち帰ってくれて助かりました。
あまりにも大量のモノを、ひとりで出し続けていると、「大変よね」と声をかけてくれる人も増え、「自分の子どもに、こんな大変なことをさせちゃいけないと思って、要らないモノは、自分の手で捨てることにした」と言う方もあらわれた。なんだか救われた気分で、娘世代の代表になった気がしました。
姉妹全員が
「この家を、きっぱり片付けなくちゃ!」と思っていることが原動力。
それは、のちに思わぬ形で縁を呼びこみました。
父が買いためていたもの。
物忘れが進んでからの父は、
気になるものを重複して買う癖がありました。
クーラーボックス6個
鉄製のバーベキューコンロ4個
ピンクのYシャツ5枚
プリンター4台
などなど。
これは、人と集まって騒ぐことが好きだった父の名残りかもしれません。
ピンクのYシャツは、同窓会用です。
毎回違うピンクのシャツで写真に納まっている父を、今は、切ないような懐かしいような気持ちで見ることができます。ただ、片付けはじめた当時は、
わたしひとりで、「同じものばかりこんなに買って!」とプリプリ怒っていました。
家族のために欠かさず料理を作っていたある人は、冷蔵庫を卵や牛乳、玉ねぎ、にんじんなどの食品で溢れかえらせ、ペットを愛していたある人は、押し入れに段ボール5箱もの、ペットフードをため込んでいた。
いろいろ忘れるようになってしまっても、その人そのものは、変わらずにそこにあるのだと、思わずにいられない。当時のわたしには、それを愛おしむことができなかったのです。
つづきは下記より。
父に代わって、父の仕事じまいをしました。
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