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02 飯って受験やん(アナロジーシリーズ①) #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」

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文化祭が終わって

 灘って文化祭が毎年5月の2日と3日に開催されるんやけど、灘の文化祭は外からの客もぎょうさん来てくれはることも相まって年間の中でも最大の行事というて間違いなくて、結構ようけの生徒がこの2日間のためにめちゃくちゃ頑張ったりするもんなんよね。特に高3は、運動部やったら6月に甲南との定期戦があったりはするものの基本的にはこの5月の文化祭がっつりやり切ったら受験モードやな、みたいな感じになる。自分も高3のとき例によってめちゃくちゃ文化祭やってて、特に受験勉強をぼちぼち犠牲にするような役職やったのもあって、文化祭が終わったあとの、なんやろなあ、嵐の去ったあとの静けさ、受験生としてこれから10ヶ月生きるんやなっていう感じは結構くるもんがあった。まあ十分に予想はできてたし、それを見越して受験モードに切り替えるマインドとビジョンを持てよっちゅう話ではあるんやけど、これがなかなか難しい。ほんで、結構なんかいろいろ祭りの余韻というか、いろんな文脈での文化祭の打ち上げが5月いっぱいぐらいまではちょこちょこあったりして、やっぱり受験勉強中にもそういう事柄に思いを馳せてまうわけやな。

いや己をアルキメデスになぞらえるな

 その日も俺は勉強しながら後輩とかとわちゃわちゃ打ち上げなりなんなり楽しむことについて考えてたわけやねんけど、ほんまあれは天啓ともいうべき、とか言うたら大仰な話ではあるんやけど、突如、今もっとも力を割いて取り組んでいる受験というコンテンツと、そういう打ち上げ的なコンテンツとが急に自分のなかで有機的な連関を見せ始めたんよ。これほんまにただのイタい奴やねんけど、なんかアルキメデスが浮力の概念を思いついたときに風呂で叫んだみたいなエピソードあるやん?あの感じやったな。知らんけど。ほんで、これちゃんと考えて論理もっと詰めたいと思って、ごちゃごちゃ考えた結果、「飯は受験である」より正確な表現にするなら「外食が、その構成員を灘校生に限定した場合には常に『センター利用型の大学受験』を満たす」という結論に至ったわけや。ということで今日はその話をしていきたいと思う。いや誰が興味あんねんやろうけど、独り言やから許してくれ。

「飯」考察したことあるか?いやないやろ

 つまり今日の話っていうのは、飯を「受験」というフィールドで考えてみるという試みなわけやねんけど、ここまで聞いて、「いやいや、飯を受験で考えるってそれ飯を難しく捉えてるんちゃうの?」と思う向きもあると思うんよ。でも、悲しいかな、灘の高3ともなると、むしろ受験にはめちゃくちゃ詳しなってもうてて、塾や予備校に通う人も多いし、結局みんな受験に関する情報を十分に手に入れて受験に臨むのが主流なんよね。つまり、「受験」というのはある種ホームグラウンドみたいなとこがある。その一方で、飯についての十分な考察経験を持つ人ってのは少ないと思うねんな。特に中高一貫の男子校で、異性と飯行ったりとかせんから余計なんも考えてへん人が多そう。偏見やけど。それゆえ、「飯」という、これまで真剣に考えたこともなかったような得体の知れない概念を、親しみ深い「受験」を通して考察することで、より体系的に把握できるのではないかという、この発想自体は割と筋が通ってると思うわけや。こっから具体的な内容に入っていくから、今の時点で全く興味ないわって人は「解答例」までジャンプしてな。うわ、全員ジャンプしたやんけ!

「打ち上げ⇒センター試験」

 灘の人間だけで構成される外食にもいろいろあるわけやねんけど、さっきも言うたようにこの事柄に関する思考の端緒は打ち上げに思いを馳せてる文脈やったから、まずは打ち上げについて検討してみよう。打ち上げの性質って考えたら、まずは「大人数での参加になる」ことが挙げられるよな。この時点で、めちゃくちゃようけの人数が受験するセンター試験と似てるな〜とぼんやり思えたらめちゃくちゃ勘がよろしいわ。いやこんなことで勘が良くてもなんもええことあれへんねんけど。と、考えると、実はセンター試験と打ち上げにはさらなる類似点があることが分かる。すなわち、「コツを掴めば高得点を狙える」こと。これ、センター試験の方は受験したことある人やったら感覚で分かると思うねんけど、センターってちょっと学力それ自体に加えてコツが要求されるとこがあって、そのことを言うてる。ほな打ち上げの方は?っていうことで、こっちはむしろ共学出身の方が感じること多そうやけど、打ち上げにもコツというものがあって、それを掴めば大いなる成功が期待できるんよな。その、打ち上げでええ思いするコツの代表格とも言えるのが、「打ち上げは集合場所(概して最寄駅)から」のコツな。これは、最寄駅から会場までの徒歩から既に打ち上げは始まってるんやという認識を持って、打ち上げで喋りたい人ともう行きしなの歩きから喋っとくことで会話する土壌を早めから作っとくっていうやつ。これ以外にも、打ち上げ会場の座席配置に応じたコツとか、まあ数々のコツがあるわ。まあなんにせえ、打ち上げとセンター試験にいかに似た部分があるかっていうのは伝わったやろか。

「他目的に付随する自然発生飯⇒定期考査」

 このノリで(この粗さで)どんどん考えていくわけやけど、次に考えんのは他目的に付随する自然発生飯やね。これはいわゆるあれな、定期考査の後とか午前授業の後に「飯行こ~」ってなる、自然に発生するタイプの飯のこと。このタイプの飯やねんけど、まずは午前授業や定期考査の度に起こりがちゆえ「割合に頻繁に行われる」という性質、ほんで仲ええ人としか行かへん傾向にあるから「メンバーが限定的」やっていう性質、最後に「他目的に付随」してるがゆえに飯における話題がそれまでに起こった「他目的」に関することになりがちである、つまり「話題が限定的」っていう性質の3つを押さえときたい。まあここまで言うたらもう定期考査っていうのもなんとなく想像つくと思うんやけど、「定期的に行われる」「出題範囲が限定的である」っていう点でかなり似てるっちゅうことや。

「日時事前指定の個人飯⇒二次試験」

 いよいよ場合分けも佳境に入ってきたわけやけど、次に考えたいのは、「日時事前指定の個人飯」、俗に言う「1対1対応の飯」を主とするやつな。これは、個人的に「今度飯行かへん?」と事前に誘いをかけた上で開催される小規模な飯のことやね。出欠取って集合場所が設定されるような規模の飯は「打ち上げ」として処理してあるわけやから、ここでは集合場所と言うよりも「待ち合わせ」と言うに相応しいような飯について考えたい。これ、相手1人を誘うという形式を取りがちゆえ「1対1対応の飯」と述べたなると思うんやけど(いやそんな奴おらんか、もちろんあの参考書を念頭に置いてるわけやけど)、稀に1対2対応の飯の場合とかも存在するから、それを考慮すると「日時事前指定の個人飯」と表記する方が好ましいねんな。さて、このタイプの飯は受験における何と対応するんかっちゅうことやけど、これはもう言わずもがな、二次試験やね。この飯の最大の特徴は、「個人的に誘いをかける必要があり、しかも断られるリスクがある」ってとこなわけやけど、これは「願書を出すのに緊張する」「足切りがある」っていう二次試験の性質そのものやな。ほんでさらにこの飯、「飯の現場においては喋りと聞きの実力が如実に問われ、雰囲気に対する責任が重大である」っていう特徴も見逃されへんねんけど、これも「配点が高い」「現場思考力が問われる」っていう二次試験の特徴と全く一致してる言うても過言ではないよな。

論理の補強?←いやフランシスフクヤマみたいな疑問符の使い方すな

 こうやって見てみると、二次試験の性質っちゅうのはセンター試験との対比を軸に置いたものが多いよな。って考えたときに、あれ、打ち上げとセンターの対応してる点ってもっとあるんちゃうん?ということに思い至った人がもしおるんやったら今度飲みに行こう。とか言うてたら誰とも飲みに行かれへんようなりそうやけど。すなわち、打ち上げの「出欠を気軽に決定できる」「雰囲気の責任が分散される」っていう特徴って、センター試験の「願書を出すのにあまり緊張しない」「配点が低い」っていう特徴にそのまんま当てはまるよなっていうこと。これで最初に言うとった「打ち上げ⇒センター試験」がより一層補強されたことになるよな。めでた過ぎる〜。

まだ終わらへんのんかい

 さあ、場合分けはこれで全部完了した、長かった〜といきたいとこやねんけど、実はこれが落とし穴で、まだ「灘校生のみによって構成される外食」に含まれる要素のなかで考慮していないものがあるんよな。ほなそれは何やねんっちゅうことを考えるために、既出の場合分けを整理してみよう。「打ち上げ」「他目的に付随する自然発生飯」「日時事前指定の個人飯」の3つやったな。ここで、打ち上げと日時事前指定の個人飯は対比関係にあることがこれまでの流れから分かってるわけやから、打ち上げを「日時事前指定の大規模飯」と、日時事前指定の個人飯を「日時事前指定の小規模飯」とそれぞれ読み替えてみると、日時事前指定の飯についてはカバーできていることが分かる。ほなおんなじように、この観点から他目的に付随する自然発生飯を読み替えてみると、「日時を事前に指定していない2人以上の飯」ってことになるわけで、すなわち、まだカバーしきれてない飯は「日時を事前に指定していない1人飯」なんよな。1人飯は日時を事前に指定しないと考えてええから、「1人飯」について考えるってことになる。

「1人飯⇒普段の独習」

 もう飽きとるやろからさらっといくわな。結論としては、1人飯は普段の独習に対応するんよ。 1人飯の、「様々な店に入ってみることで経験を積める」「打ち上げや日時事前指定の個人飯におけるその店の適性を想定しながら飯を食いがちである」っていう特徴が、普段の独習の「様々な問題に触れることで総合力を付ける」「入試本番の皮算用をしがち」っていう特徴に一致すんねん!以上!

解答例

 というわけで今までめっちゃ長いことグダグダ言うてきたわけやねんけど、俺は自分の発見した飯と受験の類似性にめちゃくちゃ自分で感動して、その結果これを題材に卒業文集を書いたんよな。つくづく我ながら井の中の蛙過ぎるやろと思うけど。で、そのタイトルが、「灘校暮ら史の総合演習:『飯⇒受験』の証明」とかいうこれまた非常にイタい感じで、まあ要するに「外食が、その構成員を灘校生に限定した場合には常に『センター利用型の大学受験』を満たす」っていう命題を証明せえっていう証明問題を一緒に解いていきましょう、みたいなスタンスやったんよね。それゆえ、最後の方に俺なりの模範解答例っていうのを掲載してて、せっかくやからここにも載っけることにするわな。

<以下引用>

灘校生のみによって構成される外食を、「日時を事前に指定するか否か」「相対的に小規模か大規模か」という2つの基準を用いて「1人飯」「他目的に付随する自然発生飯」「打ち上げ」「日時事前指定の個人飯」の4種に分類すると、これらは排反かつ全体。

1人飯の性質は、様々な店に挑戦し経験を積めること、その店の他タイプの飯への適性を考慮しがちであることである。前者は様々な問題に触れて経験を積めること、後者は試験における皮算用をしがちであることに通じ、ゆえに「1人飯⇒普段の独習」。

他目的に付随する自然発生飯の性質は、午前授業日や定期考査日などに頻繁に行われること、構成員の範囲と話題の範囲が限定的であることである。前者は定期的に行われること、後者は出題範囲が限定されていることに通じ、ゆえに「他目的に付随する自然発生飯⇒定期考査」。

打ち上げの性質は、参加人数が多く、それゆえに出欠を気軽に決定でき、かつ雰囲気に対する責任が分散されることと、コツさえ掴めば大成功を期待できることである。前者は、受験者数が多く、それゆえ願書を出すのにそれほど緊張せず、かつ配点が低いことに通じる。後者は、コツさえ掴めば高得点が期待できることに通じる。ゆえに、「打ち上げ⇒センター試験」。

日時事前指定の個人飯の性質は、断られるリスクを有するため個人的に誘いをかけるのに緊張することと、現場において喋りと聞きの実力が如実に問われ、雰囲気に対する責任が重大であることである。前者は足切りのリスクを有するため願書を出すのに緊張すること、後者は現場思考力が問われかつ配点も高いことに通じ、ゆえに「日時事前指定の個人飯⇒二次試験」。

ここで、「普段の独習」「定期考査」「センター試験」「二次試験」は全てセンター利用型の大学受験に含まれる要素であるから、以上より「灘校生のみによって構成される外食⇒センター利用型の大学受験」。

(788字)

<引用終了>

完全に東大世界史の第一問に寄せにいってるのがまたウケる。いや〜、ほんまに誰も興味ないようなことに対してアツなり過ぎやろって感じやねんけど、完全に俺にとっては6年間の集大成と言うても過言ではないような論題やったんよな。まあほんで、みんなも受験勉強しかすることなくて娯楽に乏しい日々を送ってたから、友達にもこの話を長々と語っててんけど、割と興味深く聞いてくれてたってのもええ思い出やな。奇跡過ぎるし、そいつらがめっちゃええやつやったってのもあるんやろな、今から思ったら。

机上の空論とその答え合わせ

 さて、その卒業文集には最後にこんなことが書かれてて、つまり命題の拡張を試みてるんやけど、恥を忍んでその部分も載っけるわな。

<以下引用>

最後に、仮説を立てて終わりにしたいと思います。この問題では、「日時事前指定の個人飯」が飯の最高学府であるかのような物言いがなされていますが、果たして実際はどうなのでしょうか?もし、仮定にある条件「灘校生のみによって構成される」を取っ払ったとき、どうなるのでしょうか?これは、自分自身も「その構成員を灘校生に限らない外食」の演習を積めていないので証明はできないのですが、仮定をより一般化した際の最高学府、それは「花の都大東京での女性との1対1対応の飯(日時事前指定の個人飯)」ではないでしょうか。そして、灘校生のみによって構成される外食における最高学府を東京大学だとするなら、「花の都大東京での女性との1対1対応の飯(日時事前指定の個人飯)」こそ、飯のハーバード大学なのではないでしょうか。まあこれは仮説なのですがね。

<引用終了>

うーん。ほんま、如何とも形容し難いけど、田舎もんっぽさと童貞っぽさを煮詰めたその煮こごりみたいな文章やな。受験勉強に勤しむなかでまだ見ぬ東京での大学生活という未来に期待を膨らませてる、若くきっしょい青年の有様がよう滲み出てることやでほんまに。これほんで今は俺も大学4回で、まあだからさすがに「飯のハーバード大学」に通学することもぼちぼちあるわけやけど、うーん、あれやな、やっぱり何回通学しても、ハーバード大学かハーバード大学やないかで言うたらハーバード大学やわ。実際にハーバード行ってるやつほんまごめんな、こんなことにハーバードの名前出してマジで申し訳ない。

今日は長なってもうた

 というわけで今日の話はこんな感じで、ちょっと思ったよりも長なってもうたな。まあでも今日の話で、なんとなく灘で俺が考えてたことのベクトルが伝わったんちゃうかな。こういうのんが礎となって大学生活においてもいろいろ考えたりすることがあるわけで、次回以降は大学以降の話をしていくつもり。ほんでタイトルにアナロジーシリーズ①ってある通り、全く連関性の無さそうなコンテンツ同士を似たものとして論じるみたいなん結構好きやからこれからもぼちぼち出てくると思うわ、期待しといてくれ。いや誰が期待すんねん。いやにしても今日もここまで読んでくれた人ほんまにありがとう、今回ゲロおもんなかっても次回もうちょいマシになる可能性もあるから、まあ懲りんと読んだってくれ〜。ではでは出羽山脈。あっ、ではでは出羽山脈の話するん忘れてた、まあでも今日は長いからまたどっかのタイミングで。あっ、飲みに行く人はいつでも募集してます〜(願書提出の示唆)(きしょすぎ)

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