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自由なんてない檻の中の生活

生活保護の受給が降りてから1ヶ月半が過ぎた。私は今、一時避難保護施設に滞在している。4月に役所に駆け込んで受給が始まりここに来たときは、持病が陽性症状のままパニックのまま、人生初の一人暮らしがいきなり始まって意味のわからない新生活の始まりだった。正直、持病も相まって自分の本当の(?)人格が掴めておらず記憶が飛んでいた。正気に戻ったのは4月17日頃だった。だから私の生活保護としってちゃんと自覚を持って生き始めたのは今日でやっと1ヶ月が経とうとしているところだ。

私が保護を受けていることは大学の親しい友達3人と元彼にしか伝えていない。それでも私のインスタは動くしみんなと遊んでいるし側から見れば元気になぜか一人暮らしを始めている、病気なんて持っていないと感じられるような印象を持っていると思う。保護なんて受けているとは誰も考えもしていないだろう。

ここで私が思う生活保護者に対しての社会の偏見を無差別に受けてしまうことについて考えていきたい。まず、生活保護者に人権などほとんどない。それは制度的にも一般社会から見ても、生活保護受給者としての当事者としてもそう思う。生活保護を受けていない、ただただ学生の身分であった3月まではお金のないストレスや持病がいつ悪化するかわからないストレス、留年してしまって学費を稼ぎたいのに稼ぐための肉体労働ができないストレスなど多くのストレスを抱えていた。4月に生活保護を受けようと考えて支援団体に辿り着き、その人には「3月が終わるまで生き延びよう」と言われてその場を去った。

保護を受けている今、他者に生かされているという意識が尋常じゃない。私が生きているのではなくて、私の生存権を憲法や役所、ケースワーカーさん、精神科医に握られている、管理されているようなストレスを受けている。

生活保護は働かなくて生きられるなんてずるいなんて妬みや嫉妬は受けてしまうのは仕方ない、(仕方ないなんて受け入れていいのかもどうかもわからないが)でも、保護は保護でまた違う生きづらさが発生している。今いるシェルターの多くのルールや国民の税金で生かされていること、死んではいけないこと。私が役所に提出した書類に「早く宇宙に行って死にたい」と書いたら軽くケースワーカーさんに怒られた。「生活保護法というのは生きるための法律で死ぬための法律ではないからね、ちゃんと生きて」と言われてその時初めて私は死ぬ選択肢が選べないのが生活保護なのか、と絶望と共に自由なんてどこにもないとどこか消えたくなった。

「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがあるが、自由を求めて旅に出たはずなのに旅に出過ぎて自由なんてどこにもないと知って帰ってくる現実を目の当たりにして帰ってきた。それが令和だ。

それでも私は叶えたい夢も行きたい場所や国もあるし、私の体力がない持病に邪魔される毎日、生きたいと消えたいの狭間をたゆたいながらも今日も誰かに生かされている、それが地続きとなって日々は進んでいく。そんな日々です。

今日はここまで、それでも、一緒に生き抜こうな。

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