我はスタックである、ということ

スタックとキュー

複数のタスクがある時、人はタスクに順序を与える。偉い人に頼まれた調べもの、明日までに提出しなければならない書類、1か月後に発表を控えたプレゼン資料の作成。どこから手を付けるか、いつまでにどの段階まで持っていくかを計画立てて遂行していく。イレギュラーな緊急クエストはあれど、基本的には多くの人が最初に与えた順序の通りにタスクを遂行していくだろう。データ処理方式の観点で言えばFIFO(First In, First Out)。これをキューと呼ぶ。
しかし、私にはそれができない目の前にあるタスクに興味が移ってしまう、いわゆるLIFO(Last In, First Out)なのだ。これをスタックと呼ぶ。おそらく、遺伝子レベルで目の前の獲物を狩ろうとするADHDの人にはスタックが多いのではないかと考える。

主にキューで回っている社会でスタックだと何が困るのか、どう対策しなければならないのか。仕事だけでなく日常生活全般において考えていかなければならない。

随時考えたことを追記していく。いったん投稿します。


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