エアトップの孤独
はじめて訪れた関越沿いのスキー場で、いつものようにランチにカツカレーを食べようとゲレンデ食堂に入った。
しかし、カツカレーというメニューがない。
これはめずらしい。
カレーはあるけどカツカレーはない。とんかつ定食はあるのにカツカレーはない。
店員さんに交渉してみたけど無いものは無いとのこと。
リゾートバイトだろうか、その若い店員さんは都会から来た浮かれスノーボーダーに対して、雪に閉ざされた立場からささやかな意地悪をしたくなるのかもしれない。ま、自分の被害妄想だけど。
じゃ、とんかつ定食とカレーを頼んでカツをカレーに載せてもいいかと聞いたら、それは止められないとのこと。
やれやれ、残った定食部分はどうしたらいいのか?
“キャベツ定食”かよ。太郎もびっくりだわ。あ、キャベツ太郎の太郎ね。あれは苗字がキャベツなのか?
納得の行かない気持ちを抑え込みつつ結局、カレーを注文した。やっぱりとんかつ定食のほうが良かったかな、と考えながら食べた二十年ぐらい前の冬の思い出。
そんなエピソードを思い出すことがおこった。
小春日和と言えど11月
秋が深まった先日、妻と近所を歩いていると「寒い寒い」言うのでちょっと肩を抱き寄せたら、確かに薄着である。
「あれ?何枚着てるの?」
「一枚よ。いや2枚か。ブラリズムとこのネルシャツだけ」
「そりゃ寒いよ。ん?まてよ、いま、なんと?」
ブラ、リズム?
踊るか?
イエイ。
「ちがうわ、ブラトップだわ。エアリズムと混ざったわ」
「ま、あるよね。面白いね」
日差しは柔らかく暖かいけど風は乾いている。
「しかしさ、その時エアリズムの“エア”とブラトップの“トップ”はどこに行ってたんだろうね?」
「まぁ、ホントね」
きっと“エアトップ”として君の脳の虚空を彷徨っていたんだろうな。
孤独だったろう。
良かったね、見つけてもらえて。無事にブラトップとエアリズムに戻れたようだね。
妻は風をよけるように私の体を盾にしながら歩いていた。
“エアトップ”の孤独な状態を想像している時に冒頭のとんかつが抜かれたキャベツ定食のエピソードを思い出したのだった。
「コンビニ寄ってくか」
「そうね、唐揚げとかコロッケでも買ってお昼はかんたんに済ませちゃお」
「せやね、半分ずつ分けて食べよ」
カツカレーは胃もたれの予感しかしないので、もうメニューになくても困らないだろう。
歳を取るというのはそういうことなのだ。
ところで、最近のコンビニはホットスナックも充実してきたけど、お菓子コーナーの一角に絶滅危惧種の駄菓子たちを見かけることがある。
エアトップの構造を援用すると、キャベツ太郎とうまい棒がスワップすれば“キャベツ棒”と“うまい太郎”になる。
いささか抽象的ではあるけど、“うまい太郎”のほうがいいかな。
キャベツ棒よりは、どちらかと言えば。
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