選択と責任と行動



「つまり世の中には正しいくない結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい結果もあるということだ。」

我々は意識せずとも選択をし続けているわけだし、その不条理性を受け入れて生きていくしかない。いつだって未知なる他者に責任を負っているにも関わらず、現実に申し訳程度にしか影響できない。環境に規定され続ける存在として、システムに間接的に関与せざるを得ない。意思決定はできても自由意志がない。

しかし、それでも自覚と行動だけが取るべき手段であることは主張したい。あくまでマシな暴力を選んでいくだけであって、積極的であれ消極的であれ行動している。

生きるというのはそういうことである。生活が風俗であり文化である限りは政治的である。そこからは逃れ得ない。


そして、誤解のないように…。「一切合切、選択せず流される」というのも、これまた一つの選択になるし、家で寝ているだけでも、それは行為である。

政治的な行為とは、ただこのことのみを指すのではないかと思う。それは、僕を生かしている誰かに対する配慮でもあり、置かれている状況への反抗でもある。現代人はあまりにも立場性を意識しなさすぎる。それこそ極端だと自分に映る。そうやって割り切って堅実に生きていきたい。

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