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涙が人に伝わるとき。『もらい泣き』冲方丁

昨今、世の中のいたるところに「感動する話」があふれています。
そういった話の中には、自分のことを省みるきっかけになるようなものもある一方で、わかりやすく感情に訴えかけた、泣けるには泣けるけど1時間後にはきれいさっぱり頭から消えている、そんな話も少なくありません。
「手っ取り早く泣ける話」は次から次へと求められ、ひたすら消費されるばかりです。

今回紹介する「もらい泣き」は、一味違います。
本作は、作者である冲方丁(うぶかたとう、と読みます)が『小説すばる』上で連載したショート・ストーリーをまとめたものです。
実際に人から聞いた話をベースに、33編が掲載されています。

一編あたり原稿用紙5枚半という制約の中で、全体的にさらりと書かれており、いかにも「泣かせよう」という演出はありません。
しかしその中には、ふいに心臓の奥へと触れてくるような、不思議と涙を誘う話が二つ三つまぎれています。

どの話が心に響くかは、読み手によっても変わるでしょう。
一週目ではあまり印象に残らなかった話が、二週目には違った解像度で心に響いてきたりもします。

・一族から恐れ憎まれた、異常なまでに厳格な「妖怪ババア」が遺した金庫の中身とは。『金庫と花丸』

・四十代後半で「こども」のために運転免許の教習所に通う女性を、ハードロックシャツを着た紳士が見守る。『運転免許とTシャツ』

・化粧をしていない妻の顔を見たことがない夫は、自分の顔で化粧の練習を始める。『化粧をする人』

どの話も、不思議な読後感を味わえます。

ほかにも、個人的に響いたフレーズを、いくつか載せておきます。
どんな文脈で書かれた言葉なのか、ぜひ読んでみてください。
ここで目にするのとは全く違った響きがあると思います。

感動はあるんだよね。するんじゃなくて。
思い出は真実だった。
すごい!楽しそう!
スーパーマリオの主人公、実は目が見えないの知ってた?
The bus is still running.
「馬鹿。いいんだよ、これで」

『もらい泣き』冲方丁

感情というのは思うようにならないもので、「あの時、感情任せに怒らなければよかった」「気持ちを抑えればよかった」という記憶は、誰にでもあるのではないでしょうか。
逆に、「我慢しなければよかった」「正直に伝えればよかった」ということ、「どうしてあんなことを言われなきゃいけなかったんだろう」と思わされるようなことも同じくらいあるかもしれません。
そういった感情は、時として憎しみや恨みとなって心の奥底に潜み続けます。
人に相談したり、時間が解決してくれるのを待ったり、誰かの一言で救われたり。
ひとりひとりが様々な方法で、そういった感情に「ケリをつける」ということをしていると思います。

作者の冲方丁は、連載の話を持ち掛けられた当初は「怒り」をテーマにしようとしていました。
しかし、考えるうちに、単純になりがちな怒りのストーリーを表現するよりも、『人はどのようにして己の感情と和解するのかを、つぶさに知りたく』なって、「泣ける話」をテーマにしたそうです。
自分の奥深くに潜む感情を理解し、それと和解できた時に、深い感動が生まれると私も思います。
和解の仕方は千差万別でも、人には共通する部分があり、深い共感が生まれます。
そこには、今まで見えていなかった自分自身を知るきっかけも隠されているかもしれません。

ということで、一編が短く、かつ読みやすいので、勉強の合間にもおすすめな本です。
同作者による、江戸時代の天才算術家・関孝和を描いた「天地明察」もぜひ。

※ここで紹介された本は萌学舎文庫(自習室の本棚。2週間貸出)にあります。

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