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葉桜が教えてくれること

突然ですが、
私は「葉桜」が大好きです。

もちろん満開の桜も美しいのですが、
葉桜が醸し出す
新録の香り、夏の訪れを予感させる初々しさが、
心に爽やかな風を吹き込んでくれます。

この感覚は、
古来から日本人が持つものみたいです。

桜が咲き誇っているとき”だけ”でなく、
たとえば、
風にはらはらと舞う花びらを
「桜吹雪」と呼んだり、
散った花びらが水面に浮かび流れるのを
「花筏(はないかだ)」と呼んだりなど……

日本人には、
たとえ花が咲き誇っていなくても、
そのときの一瞬一瞬に愛おしさを感じる
DNAがあるみたいですね。


葉桜を見て、
いつも思うことがあります。

それは
「特別な存在になる必要なんてない」
ということです。

なぜなら、
特別であろうがなかろうが、
私達はじゅうぶんに幸せだからです。

桜は、
咲き誇っていなくても、
十分美しいですよね。

人間もきっと同じです。

たとえ
成功しなくても、
目立たなくても、
注目を浴びなくても、
私達は十分に素敵なのです。


アドラー心理学の第一人者・野田俊作さんの本
『劣等感と人間関係』では
「普通でいることの大切さ」を述べています。

--------------
『我々にとって、
とても勇気がいる一番難しいことは、
その他大勢の一人である勇気なんです。

特別な存在であるということは、
とても楽ですよ。

いいほうも、悪いほうもね。

自分は、
全然特別な存在でなくて、
ただの人だ、ごく普通の人だ、
ということを認めることは、
とても勇気がいる。

でも
その勇気をやっぱり持たないといけない。

(中略)

でもそんな
二四時間、三六五日、
特別であることは実際できない。

もっとごく普通に
毎日を暮らしているということが、
とても素敵なんだということを
みんながわからないといけない。

お互い同士が認めあえる
家庭や学校や世界を
つくらなければならないと思います。』

野田俊作さん著『劣等感と人間関係』
(P95~96から抜粋)
--------------

おっしゃるとおりだと思いました。

いまの時代はなんだか、
「成果を出せ!」と
いつも駆り立てられているような気がします。

仕事上も、いわゆる
デキル人がもてはやされ、
SNSを見ても、
キラキラした成功体験が
いやが応にも目に入ります。

憧れを抱く一方で、
自分がみじめに感じることも
あるかもしれません。

けれども、
みじめに思う必要なんて、
全くないのです。

幸せになるために
特別になる必要はない。

むしろ特別であろうとして、
今を楽しめないことのほうが、
よほど辛いのではないでしょうか。

私達は
もっと普通でいいのです。


普通でいることの幸せを
噛みしめるためには、
以下の問いを自分に投げかけてみて下さい

「自分の身に周りにある
『当たり前の幸せ』はなんだろう?

何が思い浮かびますか?

ホカホカあったかごはん、
一緒にいてくれる家族、
温かい陽射し、
頬を撫でる風、
香り立つ珈琲など……

意外と
たくさんの幸せが
そこにありませんか?

「当たり前の幸せ」が思い浮かんだら、
存分にそれを味わって下さい。

それだけで私達は幸せになれるのです。


「当たり前」
という言葉がありますよね。

そう、
「当たり」はすでに
「目の前」にあるのです。

人はそれを
「当たり前」と呼びます。


私達は、
もっと普通でいい。

ありふれた日常の中に、
確かに幸せはあります。

身の回りにある幸せを、
たくさん感じて、味わいながら、
生きていきたいですね。

今日があなたにとって
「当たり前の幸せ」で
溢れた一日でありますように♪


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