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好きで始めたことなのに、いつの間にか負担に感じてしまうときの対処法(前編)

好きの気持ちから始めていたことなのに、続けているうちに、いつの間にか負担に感じることはありませんか?

趣味でやっていたことが、いつの間にかハマれなくなっている
資格をとろうと意気込んでいたのに、勉強していても楽しくない
好きでやっていた活動が、いつの間にかめんどくさくなっているなど……

好きでやっていたはずなのに、続けているうちに、なんかしっくりこなくなったとしたら、”純粋な好き”以外のなにかに振り回されているのかもしれません。

”純粋な好き”を動機に動いているときは、やっているだけで楽しいなど、自然に明るい感じがするものです。

けれども続けるうちに、”純粋な好き”以外のもの、たとえば周囲からの評価やプレッシャー、同調圧力など、自分の外側から押し付けられたような感覚に囚われることがあります。

そうすると、消耗感があったり、心がぎゅっと固くなったり、ギラギラした高揚感を感じては疲れてしまったりなど、浮き沈みが激しくなることがあるのです。


そんなときは、自分の”好き”について向き合うチャンス。
「そもそも何が好きだったのか」「なんで負担に感じるのか」と向き合ってみるのがいいかもしれません。


私は、ブログやSNSでの情報発信が大好きなのですが、発信することがしんどくなった時期があります。

「なんのためにやってるんだろ……」
「発信して何になるのかな……」

今思い返すと、そのときの私は、発信することで、評価を得たり、成長したりすることを追い求めていました。
いいねやフォロワーの数を追い求めたり、手当たり次第に新しい発信手法を試みたり。

けれども次第に、反応が良くないとドヨンと落ち込んだり、挑戦することに疲れ切ってしまった私がいました。


もちろん、評価を追い求めたり、成長したりすることが、悪いといっているわけではありません。

けれども、そのときの私は、”好き”をないがしろにして、世間的な成功を追い求めてしまっていたのです。


私は「そもそもなんで、情報発信が好きだったのかな?」と振り返りました。

そして、情報発信の「自分の気持ちをのびのびと表現できる」ところに惹かれて、発信を始めたことを思い出したのです。

いいねやフォロワーが増えたり、新しいことにチャレンジしたりするのは、確かに刺激的で高揚感があるけれど、私の行動の源泉はあくまで”のびのび表現する楽しさ”にあったのです。


それに気づいてからは、再び、発信するときの瑞々しい喜びが蘇ってきました。
仮に、反応が薄かろうと、変化があまりなかろうと、発信することそのものへの嬉しさに再び気づくことができたからです。


「好きで始めたことなのに、いつの間にか負担に感じてしまう……」
このことに気づくと、自分の好きがこの世から1つなくなってしまったようで、なんだか切ない気持ちになりますよね。

けれども、大丈夫。

雲間に隠れた月は、見えなくてもちゃんとそこにあるように、好きという気持ちも、見えなくなっているだけで、きちんとそこにあります。


好きへのモヤモヤが湧いたなら、ぜひ「そもそも何で好きだったのかな?」「どうしてしんどくなったんだろう?」と振り返ってみてください。

好きの輪郭がクッキリと明確になるため、”純粋な好き”な部分だけを残して、それ以外の部分を手放すことができるようになります。

すると好きなことをさらに好きになります。
好きなことを心から楽しめている自分のことも、好きになります。

それってとても素敵で、ワクワクすることではないでしょうか?

好きで始めたことを負担に感じたなら、それは自分らしく生きるための好機です。ぜひご自身と向き合う機会にしてみてくださいね。

(次回は、好きな気持ちを取り戻すための具体的なコツについて、お伝えします。こちらからお読みください▼)



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