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私の陰嚢はよく腫れる


 私の陰嚢はよく腫れます。


 初めて腫れたのは忘れもしない、15年前の冬。父の誕生日を祝い、家族でささやかなパーティーを開いていた時のことでした。

 食卓の上には普段は買わないような贅沢な総菜や割引シールのついたお寿司が並び、まるで帝国ホテルのバイキングのようです。

 唐揚げをひとり1パックずつ食べてよいなんて!いまの若い方には信じられないかもしれませんが、当時の人々にはめったに出来ない極上の贅沢でありました。


 どれを食べても美味しい!最高の晩餐です。


 そんな楽しいパーティーのさ中、悲劇が私の陰嚢を襲います。・・・・2割引シールが貼られた鯖寿司をもぎゅ、と口に含んだ私は何か違和感を感じ、すぐさま母へ上申を行いました。

 当時の私はまだ未就学児でありましたが、なにぶん非常に賢い子供でありましたので(祖母に「将来は総理大臣じゃ」と絶賛されるほどでした)、ほう・れん・そうの大切さも既にしっかりと学んでいたのです。


「まま、ちんちんがいたい」


 真っ青になった私の表情から何かを感じ取った母は、父と共に私のパンツを剥ぎ取りました。


 ごろり、とまろび出た私の陰嚢は……もはやごつごつとした大岩のよう。

 エアーズロックもかくやという巨大さで、のちに母は「あの時私は”ああ、この子はこのまま陰嚢を爆発させて死ぬのだ”と思った」と語っています。


 そのまま私は救急車で搬送。一時は医者からの「原因不明」という言葉に肝を冷やしたり(親が)しつつも、特段生命維持に障りのあるような重病ではないとのことでした。


 病名は「アレルギー紫斑病」。4~7才ほどで見られる疾患で、患者のうちの3~5割ほどに陰嚢への浮腫(むくみ)の症状が出るのだとか。

 恐ろしい病気です。


 しかし幸いにも私の身体は非常に頑丈で、祖母からは「将来はウルトラマンになるといい」等と頻繁にお言葉を賜るほどでした。

 すぐに回復し、退屈な入院生活に駄々をこねてはナースや親を困らせたりしつつも、何事も無く退院するに至ったのでした。




 二度目の陰嚢爆発はそれから10年ほど後。


 私が浪人生として勉学に明け暮れていた時のことです。知り合った女の子と一緒におでかけした私の陰嚢を、悲劇が襲いました。

 ・・・・。

 ・・・・私にも恥じらいというものがありますので詳細は省きますが、私はそれまで女の子と二人きりで出かけたり等という経験が全くなく、陰嚢だけでなく色々なところが膨らんでいたのです。




 膨らんでいたのは夢とか希望とか胸とかです。



 しかし、私の陰嚢はとめどなく溢れる夢とか希望とかを受け止めきるには少しばかり小さすぎたようでした。キャパを超えた彼はボッコリと腫れあがり、終いには歩くのも辛いほどとなっていました。

 しかして私も日本男児。陰嚢腫れたれども最後の矜持くらいは持ち合わせているのです。

 時々飛びかける意識を何とかつなぎ止め続け、脂汗とかをダラダラ垂れ流しながらも最後までしっかりと笑顔で女の子を見送りました。・・・・・彼女の姿が見えなくなった瞬間にダッシュで公衆トイレに駆け込み個室へGO。


 食べたばかりのパンケーキが戻ってきそうなのを気力で押し込み、陰嚢様のご機嫌伺いを始めてはみたものの・・・・・だめです。痛すぎて何をどうしようもない状態。

 30分ほど息を深く吸っては吐き出し、身体のリズムを整えようと試みるも効果はありません。健康のツボも意味なし。陰嚢を手で包んで温めてみるも、大した成果は得られません。


 情けなさと痛みにむせび泣きながら、私は親に迎えを頼みました。


「・・・・・あ、母さん?ちょっと具合悪くて動けない・・・・・うん。ん?あー、んー・・・・・下腹部?が痛い感じ。えっ?腸?まぁ・・・・・そう、かも・・・・・」

 あまりに情けない。あの日のことは今も夢に見るほどです。

 皆さんも気をつけてくださいね。




 ちなみにその後も2度、私の陰嚢は腫れました。

 私の陰嚢はよく腫れる。






#エッセイ #闘病