余剰人制度 3
俺は2192年に生まれた。
ミチルウイルスによる人類の危機の最中、俺は生まれた。コロナウイルスが流行った頃、旧日本の出生数は約84万人だった。その後生活苦も進み、一時期65万人台まで下がった。
しかし、コロナウイルスによって社会が変容し、社会での人と人の繋がりが薄くなり、家族を大切にする風潮が生まれた。また、インターネットが全世代に浸透し、それまで危ないモノとして認識されていた出会い系アプリの地位が確立された。そうして、若者は実社会での出会いではなく、インターネット上でのやりとりを通じて交流を深め、家族となっていった。
現実世界中心の時代は、ミスコンや美少女コンテストなどルックスによる差別が盛んであったが、インターネット上での交流が中心となってからは、人となりが中心となり、見た目によるイジメや差別は姿を消すこととなった。
ミチルウイルスが流行る直前の2100年には出生数は165万に上り、2020年の約倍の数値となった。人口増に転じた日本は国力を増していくかと思われた。
しかし、2101年にミチルウイルスが発生し、瞬く間に世界中に広がった。ウイルスにとって、人の地位は関係なく、日本、中国、韓国の政府の中に感染者が発生し、国家間のトラブルが発生してしまった。しかし、その時にはミチルによる乗っ取りであることに気づかず、人々は混乱を極めた。
日本は米国の庇護を受けられると思っていたが、他国不干渉の政策がとられ、援助を受けられなくなった。同じく韓国も後ろ盾がなかった。しかし、中国はインドの経済発展に寄与していたため、インドを後ろ盾に、経済力の強さを武器にして、三国の長となった。
日本と韓国は、中国の一地域となった。ロシアが侵攻した戦争とは異なり、中国の侵略は比較的速やかに行われた。後に、ミチルウイルスに感染していたことが判明し、当時の首相、大統領を含め、ミチルによってうまく操作されていたのである。
その後、ミチルの存在が判明し、人類とミチルの戦いが起きることになる。ミチルがアジア圏の中心として中国を選んだのは、人口が多いためである。日本や韓国は出生数が上がっていたため、同じくミチルの増殖場所として利用されていった。
このような状態であったため、人類は人と人との直接的な接触を避けるようになった。人との接触による感染のため、家族としか接触することがなくなり、他者との関わりはインターネットを介して行われるようになった。
買い物は基本的に自宅に宅配されるようになった。どうしても移動する場合は、車での移動となった。電車やバスなどは利用する人がいなくなり廃れてしまった。車の自動運転化が進み、免許を持たなくても移動できるようになった。
そのような社会の中で、俺は生まれ育った。
子どもの頃からリアルな人間は両親と兄しか見なかった。友達はオンラインで繋がっている。学校もあったが、昔と違って制限や拘束が長くなくなったので、基本的には興味のあるコミュニティに参加して、そこでの友達を増やしていった。
俺は教育に興味があった。人を育てるということは今後の未来を作ることに繋がる。また、ミチルとの戦いにおいて、優秀な人類が必要だと思うようになった。しかし、学校の先生になるということは、悪条件での労働を強いられることになる上、低所得者の仲間入りとなってしまう。学校の先生になるとベーシックインカムの条件から外され、収入だけの生活を強いられることになるという法律が存在した。
そこで、俺は余剰人制度に目を付けた。専門的な知識や技能を修得する必要はあるが、比較的良い条件で労働することができる。そこで、俺は教育のスペシャリストの講義、実習を受け、教科のスペシャリストとして言語を習得することとした。
昔は国語と呼ばれていたが、現在は言語と呼ばれる教科となった。中国語、日本語、韓国語の全てが一つの言語としてまとめられている。国としては中国が主軸となったが、ミチルによって人々の行き来はなくなってしまったので、それぞれの文化がそのまま生き残ることになってしまった。そのため、若い世代は三国の言語を理解出来るようになってきていたのだ。
25歳になったとき、俺は余剰人試験に合格し、余剰人登録されることとなった。それからは、余剰人として月に数日働き、生活している。