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「親には愛情があるのよ?」と言う言葉に対する私の気持ちの変化

私は、幼い頃から親の暴力や暴言に怯える日々を送ってきていました。
15歳で精神科に通わざるを得なくなり、たぶん…普通の高校時代とか大学時代というもの(?)は手に入りませんでした。

それでも、なんとかパートで働き、家事は私がしっかり行っていました。

先日も親から暴言を吐かれ、気が滅入っていたので、つい身近な年配女性に愚痴として話してしまったんです。

するとその女性は、
「どんな親にだって愛情はあるの。
あなたの親にも愛情があるのよ」
そのように言いました。

…なにがわかるの?

腹が立ちました。

(それに、暴言が愛情だったら困るでしょう。誰だって)

腹立ちが収まらないので夜にノートを開き、なぜ嫌な気持ちになったのか、なぜ相手は暴力親を庇うのか、などなど書き込んで、自分の考えを深く掘り下げていきました。

ふと、気づいたんです。

ああ、自分と同じ立場の人間を庇う発言(擁護)をするのは自然なことかな、って。
それに、親という立場を庇ってしまうということは、この年配女性は「親としての自分」にちょっと自信がないのかもしれないね、と。

だとしたら、この女性はとてもかわいらしいのではないかなぁと思えた。

だって、自信満々に私に暴言吐いていた両親の姿って怖くて仕方なかったもの。
(まあ、自信がないから娘をいたぶっていたのだけど…)

ならば、いま私の目の前にいる「親としての自分に自信のない年配女性」はむしろ控えめな方なのだ。


親に悩まされてきたことを話してしまったときって後悔してしまうんですよね(話してしまった、ね)。
「親に感謝できないなんて10代の子供みたい」
「なによ、お母さんの気持ちがわからないだけなんじゃないの」
「え…、両親が怖いとか。なに?メンヘラ気取り?」
「へ〜、あんた闇抱えてる系?」
そんなことを身近な人に言われたり、又聞きしてしまったりするのはとても辛くて、悔しいことでしたから。


だけど、ちょっと私の考えは変わった気がします。
誰だって、自分に近い立場の人間を擁護してしまうもの。
自分と全く違う価値観の人間を全力で支持することは相当な胆力がいるでしょうし。

「親を悪く言うなんて間違ってる!」

そう主張する人に出くわしたら、
「そっか、自分の立場を一生懸命擁護しているのね」
「無理もないよね。
人間、そんなに強くないよね」
と少し達観してみてやれば無駄に不快感に襲われずに済むかなぁ。

(「達観してみてやる」なんて嫌な女みたい💦)


そんな風に考え方が変わりました。


う〜ん、それでもあまりにも酷いことを言われたら、「他人事だから言えるのよ!」と心の中で叫んで、家に置いているパンチバックでモハメド・アリごっこします(笑)。
我慢のし過ぎは毒なんだもの。

たまにはいいの。

うまく、しなやかにかわしていきたいです。

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