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走馬灯を見た時のこと。


私が2度目に死の恐怖を目の前にした時
よく言う走馬灯のように・・・っていうのが、本当にありました。
言葉で表現するのはとても難しいですが、死ぬ間際を見た経験は、なかなか語れるものではないので(三途の川までは見ていません)
私なりにできる表現で、私がその時観た走馬灯と、感じた気持ちを今日は書きたいと思います。

恐れていた合併症が起こった


クモ膜下出血によるクリッピング手術で一命はとりとめたものの、私の体はまだ油断できる状況ではありませんでした。

<私がかかった病気の説明>
クモ膜下出血になると、治療の如何にもかかわらず、生命にかかわる場合が3割、死亡まではいかないが治療しても麻痺や言語障害などの障害を残してしまう患者さんが3割、後遺症がないかごく軽くて社会生活に復帰できる方が3割といわれます。 (香川県立中央病院HPより一部抜粋)
<手術後に起こる合併症の説明>
クモ膜下出血の手術が終わった後、脳血管攣縮(のうけっかんれんしゅく)と言って7~10日目ぐらいに、血腫に触れた脳の血管が細くなってしまうことがあります。れん縮が強く起こるとそのまま脳梗塞をきたしてしまい、
10%の患者さんは死亡するか後遺症を残してしまいます。
後遺症としては、血管が細くなる場所によって、意識状態が悪くなったり、話すことができなくなったり、手足の麻痺などいろいろな障害が出現します。

私の脳は、手術から10日ぐらいたった時に、この合併症を起こしてしまいました。
今思えば、術後の検査が行われる予定だった数日前から、予兆は始まっていました。

まず、字が書けなくなっていたこと。

↓↓術後のリハビリで字を書いていた時のこと。(当時書いたノート)

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ここにあるように、ひらがなやカタカナの五十音を自分で書いてみたけど、誤字があるし、書くのもすごく時間がかかりました。しかも字も全然キレイに書けなかった……。

他にも家族の名前や生年月日を書いてみたのですが、自分の誕生日や子どもの誕生日さえも、書けなくなっていました。

そしてこのあたりから、私の脳にさらに異変が起きます。


「面会時間は13時から」と何回言われてもそれが理解できず

私は20分起きぐらいに、「ねぇまだ来ないの?もう13時だよ」と夫にラインして

「まだあと2時間あるよ」と返信が来てもその意味が分からなくて、どんどん混乱していきました。


様子を見に来てくれた看護師さんに、「調子はどうですか?」と聞かれて自分の症状を話そうとした時には、もう言葉も出なくなり始めていました。

「あ・・・・あ・・・・う……」

あれ?しゃべれない。
私はところどころ言葉につまりながら

「昨日から変です」と話しました。

そしたらすぐに、言語テストをする看護師さんを連れてきてくれて、何日か前に受けた言葉のテストをしました。

ちなみに、数日前にこのテストを受けた時は、普通にクリアできた質問です。

「はい、今から順番にカードを見せるので、何か答えてくださいね」

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この画像を見て、みなさん普通にすぐ答えられますよね?

私ももちろん答えようとしました。
それなのに・・・

「あ・・・・あ・・・・あれ・・・えっとあれ・・・」

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頭の中では、「そうじき、よっと、うし」って分かってる(文字が頭に浮かんでいる)のに、
それを言葉に出そうとすると、詰まってしまうんです。

「あれ、この前までは答えられたのにね・・・それじゃ次の質問いきますね」
「今から30秒の間に、思いつく野菜の名前を言ってみてください。スタート」

「あ………あの〜……あれ、あの〜」

頭の中のニンジンや大根が、ひとつも言葉にできず、かなり焦った💦💦


検査の直前に症状が悪化


翌日に、太ももを固定してその付け根からカテーテルを脳内の血管まで通し、血管の様子を詳しく検査することになっていたのですが

私の症状は翌朝にはもっとひどくなっていて
看護師さんが来た時には、もう自分の名前も住所も言えなくなっていました。

聴覚もおかしくなっていたようで
看護師さんの声も、なぜか宇宙人のように二重に聞こえてました💦

私がその時に言えた言葉は「あ」と「ごはん」と夫の勤務先の名前だけでした(汗)

「自分の名前はわかりますか?」と言われても 「・・・ごはん」


なんでご飯やね〜ん!って今だから笑えますが(笑)
相手の言っていることは理解できるのに、何もしゃべれないので、どんどん不安な気持ちになりまいした。


そして、検査の準備をしている間に、急に右腕チカラが入らなくなり、そのことを訴えようとしたら、今度は唇がダラーンとなってきて、私の口からはヨダレが出はじめました。

「どうしよう、麻痺が始まってる・・・。」


頭もすごく痛くて吐き気もするんだけど、それよりも意識がボーッとしてきて、このまま死ぬんじゃないかという恐怖が襲ってきました。
その時はもうパニックで、夫の顔を見ていないと、そのまま目を閉じてしまいそうだったので、必死に夫を見つめました。


そしたら、先生が何人かバタバタと入ってきて急いでいるのが見えて・・・
数人で私のことを見ながら何か話しています。
タダゴトではないのは横になっている私から見ても分かりました。

「○○さん、分かりますか〜。今からすぐに検査しますからね。落ち着いてくださいね〜」

その言葉で余計に不安になった。

え、まさか私ほんとに死んじゃうの?

このまま意識が無くなったらもう2度と子ども達に会えない。。。

嫌だそんなの絶対に嫌だ!!

次の瞬間、なんとも恐くてたまらなくなり、私はチカラが入るほうの腕で夫の身体にしがみつき、言葉が話せない分、必死に夫の目を見つめて助けを求めました。


ねぇまだ死にたくないよ 何かしゃべってくれないと意識がなくなりそうだからしゃべって・・・。

言葉は出ないけどそんな気持ちで涙を流しながら訴えました。
夫は、「大丈夫大丈夫」と言いながら手を握ってくれていて

看護師さんも、大丈夫ですよ~ すぐ検査室に行きますからね〜と、私を落ち着かせるように声をかけてくれました。


検査室に運ばれている途中、天井をうっすら見ながら、遠のく意識の中で私は思いました。


今、死にそうなのは他の誰でもなく私で、ここにいる人がどんなに手を尽くしても、私という人間が死ぬ時は死ぬ、どうあがいても死ぬんだ……


そんなことが頭をよぎる中、人間が死ぬ間際に見えると言われている「走馬灯のように・・・」っていうのが、本当に見え始めたんです。


写真のネガがくるくる~っとスクロールして見えてくるって言ったらいいかな


小さい頃の自分とか、小学校で一輪車こいでる場面とか、ガジュマルの木、
いろんな友達の顔、夫と子ども達と出かけた時のワンシーンとか、親や姉ちゃんと鍋を囲んでるところ

ほんとにものすごい速さで、あっという間にいろんな思い出が私の目に映し出されました……

これって私の一生??

不思議なんだけど、それが見えている時だけ、なんだかすごく心が落ち着いて、穏やかな気持ちになって、自分の死を受け入れられたような気がしたのを今でも覚えています。

だけど、同時にものすごい勢いで今度は後悔の気持ちが押し寄せてきました。


「これが私の一生だとしたら、こんなのありえない……こんなに早く死ぬなら、もっと好きなように生きてたら良かった。なんであんなにガマンばっかりしてきたんだろう。嫌なことは嫌ってハッキリ言って、行きたい所だけ行って、食べたいものだけ食べて、家族との時間もっと大切にしたら良かった。人のために生きた人生で、自分の人生が終わるなんて」

思い出して書いているだけでも泣けてきます。
この時の後悔の気持ちは本当にすごかったです。
そして必死に願いました。

「神様お願いです。もう1回だけ私に生きるチャンスをください。そしたら絶対に今度こそ自分の人生を生きます」


そして、それでもダメだった時のことを考えて、私は夫に向かって言いました。
「あ・・・こおも、おーあい」
ちゃんと言いたかったのに呂律もまわらなくて、泣けました。

その時、「私がもし死んだら子ども達のことをお願いね」と言ったつもりでした。



処置が間に合って回復


私はヨダレをたらしながら、身体にチカラも入らずに、そのまま検査を受けました。

でも検査の間のことは、なんとなく覚えています。
先生が、ハイ撮りますよ、ちょっとビックリするかもしれないけど大丈夫だよと言っているのが聞こえるたびに


目を閉じている暗闇の奥で赤い光とか青い光が見えるような感じで、稲妻が見えるような、すごく不気味な感覚でした。


それから、けっこう長い間眠ったと思いますが、目が覚めて落ち着いてから、先生がその時のことを説明しに来てくれました。
検査の結果、脳血管の一部が急激に細くなっていて、そのままだと脳梗塞になるところだったそうです。
検査した時に太ももの付け根から脳に通した管から、血管れん縮を抑える薬を入れて症状を抑える事ができたから、ここからは回復していくだろうということでした。


しばらく続いた後遺症


私がこの危機の後にフェイスブックに投稿した文章が、やっぱり誤字や意味不明な部分があって、おかしかったです。

↓↓それがこちら。

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最後の、「命が昨日もおわりかけてなんとか伸びた良かったですから良かったです」っていうのは、

多分、「1回目手術で助かったのにまた昨日も死にかけた。でもなんとか命拾いしたから良かった」って書きたかったんだと思います。


夫の話によると、この頃の私は、話すことのほとんどが意味不明で、しかも同じ話を何度も繰り返すし、まるで別人で、でも私にショックを受けさせたくなかったからひたすら話を聞いているふりをしたと言っていました💦


素直に生きてほしい


思い出して書いてみましたが、やっぱり怖かったし、今でも思い出すと身震いがします……できればもう二度と、こんな経験したくないです。

走馬灯が見えた時のことと、その時の後悔の気持ち。私が伝えたいことは、うまく伝わったでしょうか。

人生って、本当に1度きりです。

今この瞬間もどうなるか分からないし
どんなに頑張っても、頑張らなくても

人間死ぬ時は本当にあっけなく死んでしまうんだと思います。

あの時、言葉が言えなくなった時、
夫にありがとうや大好きを言っておけば良かったとか
子ども達にたくさん話しかけておけば良かったとか、もう後悔してもしきれないぐらい悔やみました。

どうしても、忘れがちです。
でも忘れがちなのは、生きていくためにも必要なこと。

だって毎日 走馬灯が見えて、自分が死ぬこととか大切な誰かを失うことを考えてたら、恐くて恐くてその日1日生きられるわけがない。

だから、普段は忘れていても仕方ない。

でも、ふとした時にそれを思い出して、思い出した時に言葉と行動で表現するように心がけることが大事なんじゃないかなって思います。

たとえば喧嘩して、相手にひどい言葉を言ってしまった時。
後で謝ろうと思っても、もしかしたらその時にはもう相手がいなくなってるかもしれない。
そう気づけば、その時に素直に謝ることができます。

私も、夫と言い合いをしたまま仕事に送り出すとか
子どもたちを怒鳴ったままで寝るってことは絶対にしないようにしています。(寝る前はなるべく言い合いは避ける)

ありがとうって感謝の気持ちも、「言わなくてもわかるでしょ」とは思わなくなり、素直に言うようにしています。

そう、1番大事なのは、「素直に生きる」こと。

人間、死ぬ時って、どんな生き方をしても多少の後悔はあると思うんです。

でも、相手の命と自分の命がどんなに儚いかを知っていれば
過ごし方も変わるし

日常の中で後悔しない選択をひとつひとつしているだけで
最期に思うことが全然違うと思います。

私はそれを、自分の経験姉の経験を通して痛感しました。

次に走馬灯を見るのは、できれば3人の子ども達が大人になるところを見届けて、夫と2人でのんびり老後を楽しんでからがいいのですが

その時には、この記事に書いたような後悔はせず
「あ~ やりきったな~自分 おつかれさま!!」って思える自分だったらいいなと思います。

明日はいよいよnote1ヶ月記念日☆
ここまで続いたのは読んでくれる皆さんがいてくれたおかげです。

今日もありがとうございました。











私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀