死んだ後の準備、できますか
「ねぇ、やっぱりこの写真が一番いいよね?」
「え、何の写真?」
「遺影の写真よ。なんかさ、病気になる前の自分じゃ自分らしくないしさ、でもあまりにも暗い顔もイヤだし、これが一番最近で自分らしいと思うんだよね~」
自分の遺影写真を選ぶ姉
姉は、余命宣告を受けてから、自分が亡くなることを恐れているはずなのに、遺影の写真を選んでいたのです。
それは、亡くなる一ヶ月前に、姉の誕生日にケーキを持って撮った写真でした。
「ま~ 確かにいいと思うけど・・・遺影の写真ってそんな話~」
苦笑いする私に向かって姉は言います。
「だってさー みんなも写真選ぶの大変だろうし、姉ちゃん死んでから上から葬式見て、その写真じゃイヤって思っても文句言えないじゃん」
姉はそう言いながら笑い飛ばす。
なんて強い人だ・・・。
余命を自分から聞く
姉は3年間、乳がんと闘い続け、亡くなる3ヶ月前まで、抗がん剤治療もずっと頑張っていました。
治療の限界が来て、酸素も必要になって・・・
主治医の先生に、自分の余命を聞いたのも、姉自らでした。
その時の先生からの返事はこうでした。
「あなたはとてもしっかりと自分の病気のことを受け入れている人だから、私もそろそろ伝えなくてはいけないと思っていました。
あなたの命は、もって2ケ月。普通に話ができる状態は、おそらく3週間ぐらいだと思います。」
もって2ヶ月と言われた日から、わずか2週間でこの世を去ってしまったのですが、亡くなる1週間ぐらい前までは、酸素は繋いでいたものの、元気いっぱい、呼吸が苦しい以外は、いつもどおりの朗らかな姉でした。
だからまさかそんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったのが、本音です。2ヶ月以上元気でいてくれると思っていました。
でも、姉の行動を振り返れば、やはり本人には、自分の命の終わりが見えていたのかな、と思います。
葬式の準備
私には遺影の話をし、旦那さんには自分が死んだ後、誰に連絡するかの連絡リストを渡し、亡くなる前日には、同級生のT先輩に、電話をかけていました。
私たちは、小さな島で育ったので、島では誰かが亡くなると、地元の同級生が中心になって葬式から火葬、その後の会などを切り盛りする風習があります。
姉が自分の病気のことを打ち明けていた同級生は、ほんの数人でしたが、T先輩も、そのうちの一人でした。
姉とT先輩との会話です。
「T久しぶり~!あのね、急にこんな話して申し訳ないんだけどさ。私もう余命宣告受けたわけ。だからさ、もし葬式ってなったら、同級生が動かないといけないじゃん?あんたが一番しっかりしてるから、お願いしておこうと思って」
「おいおい、そういう縁起でもないこと言うなよ~」
そう言いながら、T先輩は涙声になっていたみたいで
「あんたが泣いたら困る~ しっかりしてよ~大変だと思うけど、あんたにしかこんなこと頼めないから、お願いね」
姉も電話しながら涙ぐんで、でも笑いながら じゃあねと電話を切っていました。
「Tのこと泣かせちゃった~」
姉は、少し悲しそうに笑っていました。
「よし、連絡先リストもオッケー、遺影の写真はユミに頼んだでしょ~、もうこれで大丈夫だわ」
自分が死んだ後のことを考える
姉が自ら 自分の葬式のお願いまでしている様子に、なんと言葉をかけてあげたらいいかわからなくて、私は無言になってしまいました。
そんな私の気持ちをくみとったかのように、私の返事を待たずに話し続けます。
「あのね、姉ちゃんが死んだら、とりあえず家族は絶対悲しむでしょ。それなのに悲しむ暇もないぐらい大変なのよ。遺影写真選んだり、誰に何をお願いするか考えたり、そういうの想像したら絶対疲れるな~って。姉ちゃんは自分が死ぬことよりも、死んだ後にあんた達が大変な思いすることの方が辛いわけ。」
姉が70~80歳ぐらい、もう平均寿命ぐらい生きた人なら、そういう考えになるのもわかる気がします。ある程度人生を謳歌して、死ぬ覚悟ができている人なら。
でも姉はまだ30代。私と1歳しか変わらないのに・・・・。
「だってもう、余命なんて、あって無いようなもんだよ。いつその時がくるか分からんし、もう脳に転移もしてるから、自分がしっかりしてるうちにちゃんと整理しとかんとね。今までお世話になった看護士さんや先生にも、一人一人手紙書いて置いてある。自分が亡くなったら旦那さんに持って行ってもらうつもりなのよ。」
あ~もうダメだ私、何も言ってあげられない。姉ちゃん、自分に残された時間も短いのに。
自分の余命を受け入れることだけで精一杯なはずなのに、それなのに姉ちゃん・・・。
話を聞いてるだけで泣いてしまった情けない妹の私に、姉は言ってくれました。
「ユミ、人生長さじゃないよ。姉ちゃんね、病気になってから、自分の人生考えて、納得いくように考えていろんな選択してきたから、もう充分満足したのよ。だからかわいそうだなんて思わなくていいよ。姉ちゃん本人がこんなに楽しかったって思えてるんだから。」
そして姉は、翌日に容態が急変して、あっという間に息を引き取りました。
私がT先輩に姉の訃報を告げる電話を入れた時、T先輩は驚きのあまり言葉を失っていました。
「T兄ちゃんこんにちは。レイカの妹のユミコだよ。あのね、昨日姉ちゃんから電話きたでしょ?」
「あ~うん、電話あったよ。急に葬式の話するからびっくりしたよ。どうした?」
「それがね、さっきお姉ちゃん・・・」
「・・・・・え?ウソだろ・・・昨日の今日なんてそんな・・・」
「姉ちゃん、T兄ちゃんに頼んだからこれでもう安心だって言ってた。ホッとしたのかもしれないね」
「そうか・・・お前の姉ちゃんらしいな。わかった、出来る限りのことさせてもらうよ」
T先輩は、その後の数日間、姉の気持ちに応えるように、その後、通夜~葬式~火葬まで、他の同級生にも声をかけ、しっかりと役目を務めてくれました。
そして葬式の時に、会場でこんな挨拶をしてくれました。
「実はレイカから、亡くなる前日に電話をもらいました。私が死んだ時は、あんたがとりまとめ役お願いねと言われたんです。レイカは昔から同級生の間で1番しっかり者だったけど、やっぱり最後の最後までレイカらしいなと思いながら、頼まれた分しっかりやろうと努めさせていただきました。」
喪主を務めた姉の旦那さんの挨拶でも、連絡先リストのことや、遺影の写真を自分で選んだことも、会場の皆さんに向けて話がありました。
「最後まで周りのことを一番に考える、優しくて強い妻だった」と。
帰り際、来場していた方が次々に、私たちにこう話してくれました。
「レイカさんから、終末活動のことについて、大事なことを教えられました、ありがとう」
「自分が死ぬ前に、ここまでできるもんかな・・・いろいろ考えさせられたよ」
終末活動の大切さ
姉は、本当に立派だったと思います。
この年齢で、ここまで自分の人生をキレイに片付けて準備ができる人は、なかなかいないと思います。
私自身、姉が亡くなってから、自分の死ぬ準備ができるか考えてみたけれど遺影の写真を選ぼうとスマホの画像一覧を見ただけで、恐くなってすぐにやめてしまいました。
まだその勇気がないんです。
でも、本当は今していた方がいいのも理解しています。
姉のようにすることが絶対に正しいというわけではないと思うけれど
こういう生き方をした姉の事を知ってほしいという思いで今日は書きました。
ただただ尊敬できる素晴らしい姉だなと、姉が自ら選んだ最高の笑顔の遺影写真を眺めながら、いつも思っています。
今日も読んでいただきありがとうございました。
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