見出し画像

死にそうなコロナ禍の国際遠距離恋愛を終えて

2024年、新年早々陰鬱なニュースが多く、心休まらないまま仕事始めでてんやわんやだった方が多かったのではないでしょうか。私もその1人です。

今回の記事は備忘録として「なかったこと」にしてはいけないのではと思う事柄について記したいと思います。いつかきっと、またコロナのようなパンデミックが起きて(コロナ自体は現在進行形でまだまだ私たちの暮らしに接してますが)自由が奪われた時に、ああしていればよかった、と後悔することがないように。

「なかったこと」にしたくないこと。それはコロナ禍においてごく一部の政治家(現在、増税メガネのあだ名をつけられているそう、あの人です)の思惑により愛する恋人と2年8ヶ月もの間、強制的に離れ離れにさせられたことです。

コロナ禍が始まった2020年3月頃、日本はじめ各国は次々と国境を封鎖し、国際的な往来を制限しました。2020年1月半ば、恋人と成田空港で次また会う約束をして別れた私は突如不安の渦に突き落とされました。

20年9月に念願の日本への留学を控えた恋人でしたが、最終的に留学できるようになるまで、4回も留学の延期を言い渡されることになりました。自国の友人がどんどん人生を進めている中、自分だけ人生が止まったしまったようだったと本人は当時を振り返っています。

かくいう私も、度々の緊急事態宣言を繰り返しながらも歩みを進める友人たちを横目に、自分だけ世間に取り残された感覚に苦しめられました。毎日のように外務省の記者会見をチェックし、少しでもポジティブな情報がアップデートされていないか確認する日々でした。

しかし、待てど暮らせど、良い情報は出て来ず、終わりのないトンネルに取り残された感覚になりました。街行く幸せそうな恋人たち全てに、憎しみをぶつけたくなるような虚しさを抱え、仕事に没頭する日々でした。

ウィルスは国籍に関係無い。誰が感染してもおかしく無いものだと誰もが気づいていたはずにもかかわらず、外国人であるが故に、家族や恋人と引き離されていた。人権が脅かされ、一握りの政治家の忖度により、それがよしとされ、ただ耐えるだけの日々でした。

何かがおかしい。

結局、「日本人らしく」耐え凌いだ私たちは2年8ヶ月ぶりに再開しましたが、めでたしめでたし。で終えてはいけないほどの傷を負ったのでした。

自分たちが社会から見放され、マイノリティであることがどれほど心細いことか。そして、そのマイノリティに対し、権力はあまりに冷たい仕打ちをするのか。

コロナ禍が始まるまで、自分は今時の若者らしく政治に無関心で選挙には最低限行く、程度でした。しかし、改めて自分が問題の当事者になることで社会に対し「こうあってほしい」を表現するために選挙権があるのだと身をもって知りました。

いつかまた、コロナのようなパンデミックが起きた時や、日本に何か起きた時、自分や大事な人を守れるように、次回からは声を上げることを恐れず実行していきたいと思います。

ダラダラとまとまりのない文章でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?