【慰霊とは寄り添うという事】ミャンマーで国歌斉唱
インパール作戦
ミャンマーからインドに向かう途中、ふとインパール作戦の事を思い出しました。
誰もが無謀だと思う作戦にもかかわらず上層部の人間関係などから止められることなく決行された。
その結果多くの兵士達が無念の死を遂げた大日本帝国陸軍の最大の汚点とも言える作戦です。
補給がなく疲弊し敗走する兵士達の前に立ち塞がった雨季のチンドウィン川。
増水したチンドウィン川を渡れずに流された兵士が数多くいたといいます。
季節が同じだった事もあり、僕は日本兵が見た景色を辿ってインパールまで行こうと思い、チンドウィン川沿いを北に向かう事にしました。
チンドウィン川で出会った男性
その日は走り出してすぐにタイヤがバーストしました。タイヤ探しで疲れてしまい近くの街「カレワ」まで移動したところでその日は終了。
地元の青年に誘われてチンドウィン川で水浴びをした後レストランに行くと、ウェイトレスが
「日本人がいるよ」
と言ってきました。
こんな所で珍しいなと思いながら移動してみると、かなりご年配の方でしかも一人でおいででした。
再会から慰霊に立ち会う事に
「日本語で全部通じますよ笑」
と豪快に笑うその方の話を聞くと、インパール作戦で命を落とされた英霊の慰霊の為にいらしてるようです。
ミャンマーだけでなく様々な場所を慰霊の為に訪れているらしい。
その日は一緒にビールを飲んでお別れしたのですが、翌日の昼過ぎにマウライクという更に北の街に到着してすぐに再び彼と会いました。
前日聞いた彼の予定では、もっと先に進んでいるはずだったのですが、どうやら船がなかったらしくマウライクで一泊する事になったらしい。
一緒の宿に入り荷物を置いたところで彼に
「いのうえさん、一緒に慰霊しませんか?」と聞かれました。
断る理由もないので
「もちろん」
と、一緒にチンドウィン川に向かいました。
国旗と国歌と軍歌と靖国
雨季直前のチンドウィン川は中洲ができているくらい水は少なく、河岸まで降りていくことができました。
そこで日の丸を掲げ、靖国の札を置き線香に火を点けると彼は
「国歌を歌いましょう」
と僕に言いました。
一瞬戸惑いましたが国歌なら歌えます。
後ろでざわつくミャンマー人の声が気になりながらも、二人で「君が代」を歌いました。
そして「君が代」に続いて彼は軍歌を。。
慰霊とは英霊の価値観に寄り添う事
彼の軍歌を、
「これが慰霊って事かもな」
と思いながら聴いていました。
近年祝日祭日にも国旗を掲げる家庭は減り、軍歌を歌えば右翼と言われ、「君が代」についても歌う歌わないの論争があった気がします。
時代によって色んな考えが出てくることは当然なのでそれは仕方ない事だと思います。
ただ今回彼の軍歌を聴きながら思ったのは、慰霊をするのなら英霊達が生きた時代の価値観に寄り添うべきだということ。
彼等が背負った国旗を掲げ、彼等が再会を誓った靖国の御札を置いて、彼等が唄った歌を歌う。
形式的な慰霊は毎年行われていますが、英霊に寄り添った慰霊というのはどんどん減っているのかもしれません。
これが本当の慰霊なんだと感じさせられました。
最後は二人で川に入り、雨季ではないながらも重い、チンドウィン川の流れを感じて終了しました。
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