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こんにゃくは、にゃくにゃく(泣く泣く)形になる

新年早々、誰もが大きく心が揺さぶられることが続いた。
そして今も現在進行形の方もおられるわけだけれど。

前回自分の心が萎んでしまわないように、あまり悲しい情報を取りに行き過ぎないことと、ちゃんと見ることのバランスが難しいと書いたけれど、やはり気付かないうちに内向的にもなっていたし、テンション高めの行動はなかなかする気にはなれない。
それでも、私のごく近くの日常は美しいし、ありがたいし、戸惑いながらも肚にぐっと力を入れる。
空元気になる必要はない。
かといって、遠慮して生活するのもなんだか違う。
とにかく素直に冷静に過ごそう。

色んな気持ちが渦巻く晴れた暖かい日に、里山でこんにゃく作りをした。

私にとって植物の最初の先生でもあり人生の先輩として尊敬している、手仕事研究家の石田紀佳さんと鷺島広子さんが行う「ボタニカルヒーリング講座」へ飛び入り参加してきたのだ。

1月の初めから匂い立つ寒紅梅

七草ならぬ九草摘みと小豆粥。
輪島塗。
梅の花と戯れる時間。
一つ一つ思い返せばもっとあるけれど、一番印象に残ったのが、生芋から作る「こんにゃく」作りだった。

可愛い鬼さんのような風貌の「こんにゃく芋」。
よくイラストなどで見かける鬼さんは「赤おに」が角2本でぽっちゃりしていて、「青おに」が角1本で痩せているイメージが強い。
けれど、こんにゃく芋は角1本(芽のことね)だけれど、ぽっちゃり「赤おに」風だと何となく思う。

これを食べられるようにした先人はすごいな

写真で見たことはあったけれど、本物を間近に見て触れてみると、なんと可愛いものか。
どどんと迫力があるし、実際重いがいびつな丸さが愛嬌たっぷりだった。
でもシュウ酸が含まれていて、そのままではかなりの刺激物だと言うではないか。
インドでは、拷問として使われるくらい大変な刺激だそう。
可愛いのか怖いのか分からない存在。

まずは作り方を覚書として簡単におさらいしてみる。

①生芋をお鍋に入るくらいの大きさに切って茹でる。
②中が透明感が出てきて柔らかくなったら、引き上げてさらに細かく切る。(この時、粘りが出てきているので手を切らないように注意。お箸で押さえながら切った)
③それに水を足しながら、摺りこぎまたはハンドミキサーなどでペースト状にしていく。
④もったりしてきたら、石灰を加えてよく混ぜ合わせて化学変化させて凝固させていく。
⑤団子のように丸めて再び沸いたお湯の中で茹でる。
⑥完成! また食べる時にあく抜きする。

これを火をおこしながら、おかゆ食べながらおしゃべりしながらやるから、あっという間だったのだけれど。
この鬼さんを攻略するには、とても沢山の工程があるのだな。と。

ところでどうでもいいかもしれないが私は、こんにゃくが好き。
幼稚園のお祭りで食べた味噌田楽はうん十年経った今でも(!)覚えている。つるつると串から逃げ出しそうになるこんにゃくを慎重に食べた幼稚園児の記憶を持つ、この食いしん坊さよ。
(でも引っ込み思案で、食べたいと言えなくて、母の斜め後ろに隠れてお祭りを見ていたあの頃。結果的に食べられてよかったね、私。)
そして、小学校を上がった頃には、母が近所のママ友達と一緒に白いこんにゃく(市販のこんにゃくが黒いのはひじき入り)を作って持って帰ってきた。出来立てのこんにゃくのお刺身の美味しいこと。
社会人になって自炊するようになって、初めてこんにゃくは調理前は臭いものだと知り一時は敬遠していたこともあったけれど、やはりこの滋味深い美味しさと食感は日本ならでは、と再びこんにゃく愛に目覚める。
今や食べるにとどまらず、こんにゃく湿布にもお世話になるし、本当にこんにゃく様様なのだ。
生芋とのご対面は今回初めて。
かつ初めてのこんにゃく作りが、生芋からで、かつ尊敬する紀佳さんの講座だったので光栄なことだ。

ごちそうになった味噌味のこんにゃくも美味

だがしかし。
しかし、順調に見えたこんにゃく作り。
途中で、ちょっとしたハプニングが続いた。
ミキサーが壊れたり、石灰がなかなか反応しなかったり。
こんにゃく作りの達人も、こんなことこれまであまりなかったみたいだ。
ともあれ、参加者の皆さんと人海戦術で何とか立ち回り、なんとか形になっていったのだけれど、「これはもしかしたら私の母がいたずらをしに来たかもしれないね」と苦笑い。

私の母は例えば餃子やおでんは既製品を買って温める位、手料理にさほどこだわりのない人だと思っていたけれど、こんにゃくを作ってきたときにはびっくりした。こんにゃくって作れるんだ、と。
母は、長女の姉の幼稚園時には、朝から生のエビを捌いてエビフライを揚げていたそうで、今でも我が家の中で伝説になっている。
そして、当時最新家電だった多機能付き電子レンジを購入した際には、マドレーヌやらシュークリームやらショートケーキも作っていた。
お葬式の後、実家の片付けをしていて、年季の入った大量の「マドレーヌ専用袋」が出てきて、ぎょっとしつつも若かりし時の母の気配を感じて、思わず持ち帰ってきた。
ちょうど今の私と同じ位の年齢だっただろうか。
母は、もともと手作りが好きだったのか?しかし共働きの為に少しずつ料理が苦手になってしまったのか?それとも子供たちの為に理想の母像を演じようと頑張って台所に立ち続けていたのか?
今となっては、答えは分からない。
けれど、一筋縄ではいかないこんにゃくを前に母の記憶を緩やかに辿る時間となった。

石灰を入れたら素早く混ぜる

母は、いつも私に向かって「あなたってぶきっちょね」とよく笑ったけれど、私からしたら、母こそ、不器用に生きているように見えていた。

ハプニングを乗り越えながら少しずつ形になっていったいびつなこんにゃくは、ほくほく持ち帰って自宅で食べた。
ふわふわとしていて、少し苦かった。

もう一度丁寧にあく抜きをして、いただいた木桶仕込みのお味噌で煮たら、じんわりと美味しく仕上がった。

とある日の、こんにゃく、にゃくにゃく事件。
新年のちょっぴり冷えていた心を癒した平和な時間。
そして、子育てに奮闘したであろう母の苦労とこんにゃく作りに思いを重ねた時間。









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