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「負けず嫌い」であること

わたしは多分、かなりの負けず嫌いだと思う。

小さい頃から「できないこと」「わからないこと」が嫌で、
苦手をなくそうと勉強も頑張ったし、本を読んだり、自分で試したりした。
原動力は「できなくて悔しい」という気持ちと
「ひとりでなんでもできるようにならなければならない」という
使命感というか義務感みたいなものだったと思う。

その結果、できないこともわからないこともたくさんあるけれど、
自分の専門以外でもある程度すぐに理解できるようになったと思う。
今では、必要なところにエネルギーを注ぐことに集中できるようになった。
自分が生きる上で必要なことの取捨選択ができるようになったから、
優先順位をつけたり、諦めることができるようになって、
いろんな意味で「楽になった」とも言えると思う。
(例えば、土木関係の知識は今の生活においては優先順位が低いけれど、
メンタルヘルスの知識は優先度が高い、というように)

それはさておき、「負けず嫌い」でいることで誤解されやすいのが、
「怒りっぽい」ということだと思う。

学問に限らず、普段の生活でも負けず嫌いは発揮される。
例えば、友だちとゲームをしている時。
もちろん楽しみながらやっているけれど、勝負とあらば本気で向きあう。
勝てるならば勝ちたい。
誰もが思うことだと思うけれど、
たぶんその気持ちが人より少し強いのがわたしだ。

勝てたらすごく嬉しいし、負けたらすごく悔しい。
別にそれで不機嫌になることはないのだけれど、
「負けちゃったじゃんー!」なんてことを言った日には、
「そうやってすぐ怒るー」と返ってくるのがオチだ。
(もちろん冗談で言っている部分もあるとは思うけれど)

これが続くと、
ただ遊んでいるだけなのに負けたら怒るから嫌だ
となってしまうことがある。
これほど悲しいことはない。

こちらとしては、本気でやっているからこその反応なのだ。
別に勝たせて欲しいとも思っていないし、
それで機嫌が悪くなるほど子どもじゃない。
もしかしたら、自分に対しての悔しさはあるかもしれないが、
あくまで「自分に対して」のである。
あの時、違うカードを出していたら、とかそんなものだ。
そうやって戦い方を覚え、感覚を身につけるものだと思う。

怒っているのではない、悔しがっているだけなのである。
だから、そういう風に言われると、
自分の感情を抑えざるを得なくなってしまう。
そうしたらもう、その人の前では自分を出せないのだ。

正直、個人的には、
感情を抑えて生きてきた部分があるから、
少しずつ解放できるようになってきた今、
こうやって勘違いされることがあると辛い。

「負けず嫌い」は怒っているのではない。
悔しがっているのだ。

自分に対して、悔しがっているのだ。
それを少しでもわかってもらえるようになりたい。