夫は私に出会えてラッキーだったんだろうな
繋りたかったから、繋いだんだと思う。
騙されたわけでもなく、二人は惹かれあったから結婚したんだと思う。
夫婦になってバランスが崩れれば、片方がしんどくなる。
さて、どうしたもんだろうか。
愛着の問題が潜んでいると指摘された夫にフォーカスしてみた。
私と結婚したんじゃなくて、私の母と親子になりたかった?
私と家庭を持ちたいと思ってくれたこと
そこに嘘は一つもないんだと思う。
夫は本当に優しくて人とトラブルを起こすような人ではなくて、ふざけるのも好き面白くてそんな彼が好きだと思ったし安心できると思った。
(振り返れば不安定回避型の愛着形成ならば当たり前だけど)
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だけど、私と私の母の母子関係に憧れて
その仲間になりたくて結婚したんでは?と思ってしまう。
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それでもいいんだけどね。
きっと母としての私の母に憧れたんだ思う。
付き合い始めて結構すぐから、母にも紹介したし
よく実家に行った。実家に行けばご飯作ってくれる
好きな食べ物をたくさん山盛り、食べ切れないくらい用意してくれる
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みんな働いていたからね、みんなで助け合ったんだよ。
どこのうちの子も関係ないよ。
どこのうちの子のお腹もいっぱいにするのが
この辺のおっかさんたちの役目だったんだよ。
どこのもみんなで面倒を見たんだよ。
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90代80代のお婆さんたちがそう言うくらいだから、
生きていれば70歳の母もそうしてもらって育って来たんだろう。
確かにその通り、母はずっと働いていたけれど
周りの人がたくさん愛してくれた。
大人になってからも帰りが遅い日が続くと
近所のおばさんから「最近遅いじゃない?仕事なの?遊びなの?」とくる
『仕事が忙しすぎて、疲れるんだよ。つい、飲んで帰ってくる』と言うと体壊すんじゃないよ。とこんな具合。
都会は干渉しないとか言うけれど、私が育ったところは
干渉と言うより、気にかけてくれている。
「体壊すんじゃないよ。」「たまには早く帰って来て寝なさいよ」
母もきっとたくさん愛して可愛がって来たんだと思う。
自分が今、子育てしながら、私は愛されていたなぁと思う。
何よりは親だけではなく、あちこちで私は愛着形成してきたんだと思う。
私たち家族があなたの心柱になれないのかな
私の母は誰でも大切にする人だった。
自分のうちの子だからとか、障害児だからとかそう言うカテゴリ分けみたいなものがなくて、誰でもWelcome
小さい頃はウチの子じゃない子どもがいつもいた。
鍵開けて入ってくる子もいたし(泥棒のやり方)
結構みんなガチャって入って来た。地域性?
何人も来ても食べれるようにと、おやつはたくさん用意してあった。
芋とかポップコーンとか蒸しパンとかだけどね。(高いお菓子じゃないけどね)
母の友人にも耳の聞こえない人、目の見えない人、自閉症の子供がいる人
国籍が朝鮮の人、まあ、いろんな人が周りにいた。
その深い愛を夫は見抜いたんじゃないのかな。
その深い愛に守られて来た私を見抜いたんじゃないのかな。
結婚になど、まるで興味のなかった私
やりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りなくて
結婚は〜と思っていた
そんな私が夫に出会って結婚しようって思ったのも
きっと、何かの縁なんだと思うよ。
母はとにかくウチのパパを可愛がった。
私の実家なのに私抜きで子供を連れて行くほど
行けば労ってくれるから癒しだったのかも
疲れてるでしょう、いつもありがとう、ゆっくり寝てていいよと言って子どもの世話をしてくれて晩ご飯には大量のパパの大好物が並ぶ。
今になって愛着障害のことを勉強したら、突き刺さった。
もしかして、夫は私の母に出会って初めてありのまま無条件に母の愛を?
ありのままの姿を愛されたんだ。そうじゃない?
ずっと一人だった。
ずっと一人で生きて来た。
ずっと家族を持ちたいと願っていた。
母親にいつも邪魔されて来た。
そんな夫が私と出会ったときには、もういい加減、誰でもいいから結婚してくれって感じだったから許されたんだと思う。
このラッキーをつないでよう
悲願の家族を持てた。
夫婦の形も、父親の姿も、子供を愛する母の姿も何も知らなかったけど
私の母がサポートしてくれていた時は少しは自信が持ててやれていたんだよね。
母が死んでそこにいなくなってもその続きをしませんかと思うけれど、夫には貯金が足りない。空っぽだった夫の貯金箱にはまだまだ足りなかった。
だけど、娘婿の割にはいっぱいもらったでしょう。と思う。思うけれど、そんな簡単じゃないんだよね。わかったよ。
動かすだけの底力がない。
前を向く原動力の源を見いだせない。
愛着の問題って本当に根深い。
ピラミッドの土台がないんだから、グラグラしてしまう。
(理屈、めっちゃわかります)
高度な建築技術をもって、一本の柱でも地中深く根差していれば揺れても倒れないかもしれない。
でも、その一本の柱すら夫にはないのも見ていたらわかる。
土台が今さら作れないとして私たち家族が、私や子供たちがその心柱にはなれないのかな。
とっかかりをつかむのも何もかもが本人次第。
しんどいな。
でも、後から補強した建物だってなんとか雨風凌げるくらいには保てることだってあるでしょう。雨漏りしたっていいじゃない!?屋根の下敷きにならないくらいにグラグラなら十分じゃない!?
寂しくない私はなんで寂しくないんだろう
私自身、母子分離が早かった。
生後52日で保育園に預けられてきたのに
祖母にも近所にもかなり預けられたのに
孤独を感じたり寂しくなったりしたことはない
母と過ごした絶対的な時間は、平均を相当下回ると思う。
なのに母と離れ離れな感覚がないのだ。
母が他界して3年過ぎた今でも、離れ離れな感覚がない。
(生きていてくれたらよかったと思うことはある)
生後52日で預けられていたけど、母とはしっかりつながっていた。保育園の保育士さんたち、素晴らしかったんだと思う。ミルクも哺乳瓶も拒否で早朝から夕方まで一日預けられて20ccとか、あまりにも心配でスプーンでミルクを与えてくれたり、そんな大変な私を心から受け止めて、大切に育ててくれたらしい。
母から聞いた話でも本当にそう思う。
何人もの母が私にはいて、幾重にも愛着を形成できたのかもしれない。
多方面で愛着を形成して来たのかなって思う。
それって本当にただひたすらラッキーなこと。
それ以上でもそれ以下でもないわ。
のちに入った保育園では、言うことを聞かない子としていじめられたり、保育士からの脅しでPTSDを負ったりするんだけどネ、それでも崩れてこなかった。
母は周りとの関係も素晴らしいものを残してくれた。
大人になった今でも本当の姉妹のように
率直に意見を言ったり励まし合える幼馴染みの存在。
幼馴染みの母も私との距離感が近くて、母の余命が少ないとわかって残された期間を受け入れられない家族と私との間に軋轢が生じて困っていた時も支えてくれた。
それ以外にもたくさんの繫りを作って来てくれた。
私はラッキーだったんだろうなぁ。
怖いと泣く日にはいつも母が暖かく守ってくれた。
挫けそうなときにはいつも母がそばにいてくれた。
あなたが大事だと、あなたが生きてさえいればそれでいいと言葉をかけてくれた。
茨の道を歩いてきた私が崩れなかったのは
それは単に母の愛だなと自分が子育てしてみて思う。
母がこの世からいなくなってしみじみ思う。
愛されていたと。
思春期が長くなった昨今、チャンスは50代まで?
担当の精神科医からは愛着の問題は30代前半までに解決できてこないと、なかなか難しいですと無期懲役のような絶望的なことを言われています。
でも、私が数冊読んだ本の中で”思春期が長くなっているから50代くらいまでチャンスがある”と言うことが書いてあった。
愛着障害の克服~「愛着アプローチ」で、人は変われる~ (光文社新書)
岡田 尊司 (光文社新書)
そうか、希望はあるんだと思った。
例えばそれが読者を励ますために書いてくれた一文でもいい。
かけてみようと思う。
ひどい環境に生まれて、どんなに冷たいことを言われ
酷い扱いを受けても、真っ直ぐに生きてきたじゃない。
極道にも入らず、ドラッグにも溺れず、何一つ悪いことはせず、
ずっと一人で耐えてきたんだ。すごい人だよ。
私の母は夫のことをこんな風に言っていた。
それを担当の精神科医に話していたら泣いてしまって
精神科医も泣いてしまって。二人で泣きました。
一度でも愛されたことがある人は違います。
その言葉に期待しちゃっていいのかな。
それを見ていた子供たちはどうしたの?と聞いていたけれど
医師は子供たちに「ねぇ、ふたりのパパはすごい人だよ。すごい人なんだよ。先生、二人が安心して過ごせるようにパパにも話してみるからね。」と声をかけてくれた。
私ができることはなんだろう。
今まで暴言吐かれすぎて、疲れちゃっているけれど
離婚したって誰も救われないのはわかっている。
この家族が抱えている問題は、離婚しても解決しないんだなぁ。
だから母は離婚に反対したんだな。でも、私が助けるからって言ったのに先に死んでしまった!なんてこと!
私「ねぇ、自分さ、ばばが生きていた時はもっと楽しそうだったの気づいてる?」
夫「え・・・?」
私「ばばが生きていた時は空想好きな子供たちとの会話をニコニコしながら聞いていたの覚えてる?」
夫「ああ、そうだったかも、あ、そうだね。」
私はばばが死んでから変だよね。ひどいこといっぱい言うようになった。ばばが死んじゃって、励ましてくれる人いなくなってしんどいんじゃない?と付け加えた
夫「・・・」
栗がずいぶん大きくなりました。
少し茶色くなり始めています。秋はもうすぐそこ。
まだまだ毎日、煮えそうに暑いけれど。季節が変わりそうなのを感じています。
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