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思考を変えるために言葉を変えてみる


相も変わらず色々考えている。考えているうちに、言葉の捉え方が大雑把だと気づいた。
なんというか、針小棒大に言う癖がある。ただ少しどうするべきかと逡巡していることを、さも大々的に「悩んでる」と言ってみたり。そういう言葉尻ひとつで、自分の思考に更なる負荷を掛けているんじゃないかと思った。実際、素因数分解していくと本当にたいしたことじゃないし。


考え方を変えてみる。
「ちょっと迷ってる」「色々頭でシミュレーションしてみてる」「どうしようか考えてる」
これだけでなんとなく、「悩む」よりは軽い印象になっている気がする。
こういうひとつひとつが自分のがんじがらめの呪いを解いていくのかもしれない。


人間の挑戦って、花壇みたいだと思った。
やりたいことの種を蒔き、チャレンジすることで水をやり、例えば知識やアドバイスを得ることは栄養剤になり、花が咲く=成功。
時にチャレンジの方向性や回数が違っていて根腐れしてしまったりとか、誰かの心無い横槍が天候みたいに割り込んできて枯れてしまったりとか。そういうことも含めて。
花が咲いたことだけを成功だと捉える人もいて、水をあげたことや栄養剤を与えたこともちゃんと成長の過程として自己肯定感に繋げられる人もいる。


私の花壇はコンクリートで埋め立てられている。
新しいことに対して腰が重い。システム手帳は物欲カテゴリなので、私の中では挑戦と考えてすらいない。なにかに挑んだことを思い返しても、とんと記憶にない。
じゃあこの埋め立てられた土壌を、少しでも種を蒔くに足る場所にする方法はないのかと考えてみた。本当ならこんな花壇を放棄して次に行ければいいのだけれど、まあ、人生なので。
正直に言ってあまり思い当たらないし、どうすればいいのかも全然ピンとこない。こないなりに、このガチガチに凝り固まって歪んだ認知を解した方がいいな、とは思った。


なので、まず言葉を変えてみる。
少しでも自分が軽く、やわらかく、前向きに捉えられるように。
一番最初に出てきた言葉がいつも通り重く捉えたものだとしても、次を変えればいい。
花壇を放棄できないなら、花壇を変える方法を取ろう。と、思えたのは、ジャーナリングで自分の思考を可視化する術をひとつ学んだからだろうな。これだけで私にとってはだいぶポジティブな変化だ。2024年上半期の一大ニュース。

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