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「推し、燃ゆ」ネタバレ有り感想

2020年の受賞作品に今更ネタバレも何もないのかもしれないけれども、念のため。
文庫化されたので少し前に購入して、寝る前にちょっとずつ読み進めていた。日曜日の夜に寝つけなかったので、半分ほど残っていたのを一気に読んだ。その後しばらく、色んなことを考えてしまって感情がぐちゃぐちゃになり、ベッドの中でひとりで泣いていた(これは作品の内容についてというより、作品がきっかけになって凝り固まっていた感情が融点に達して、涙として発露したんだと思っている)。
読書ノートにも書いたのだけれど、まだなにか書きたい気持ちがあったので、せっかくだしnoteに書いてみることにする。

逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を”解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。

河出書房新社公式ページより

普段は自分用の感想しか書いていないので、ここ解釈おかしくない?とか、そういうのもあるかもしれない。でもまあ感想だし、いつかまた読書感想文を書くこともあるかもしれないし、練習だと思って。

私にも推しがいる。二次元と2.5次元に。今は俳優やアイドル等の生身で会える人を推してはいないので、「推しがいる人間の心情」はわかる。
主人公のあかりは「推しを解釈する」ことに心血を注いで、テレビの録画を何度も見ては発言をメモに残し、ブログに残す。その結果、彼女は推しがなにを言うか予想ができるようになるし、その精度もかなり高い。それは推し方のひとつではあるけれど、なんだかひどく歪だと思った。


↑ここまで書いて1.5ヶ月くらい放置していたけれど、さすがに勿体無いなという思いが湧いてきたので続きを書く。


あかりにとって推しは「生きがい」で「背骨」と称されていた。けれど、たぶんそれだけじゃない。
障害(おそらく発達系かと思われる)を持つ彼女の生活を丸ごと支えていたのは、「推しの存在」じゃないか。
推しのメディアへの露出やイベントがあるから、日付の感覚を意識できる。推しはカレンダーでもある。
推しのグッズや音源を積むためになら、アルバイトもできる。うまくいかなくっても、アルバイトに行くことはできる。推しは労働の原動力でもあるし、金銭感覚でもある。
推しのことを綴るブログを書くために、推しの発言を解釈して書き留めていく。推しはきっと辞書にもなっていた。
そのブログや、推し変してしまった友人とも「推し活」という共通点があれば理解しあうことができる。推しは社会とのハブにもなっていたんじゃないか。

そして、推しがいなくなった彼女には、なにもなくなってしまった。生活のために必要だから、かろうじて家事をやっているけれどうまくいかない。
働けないし、洗濯物だって雨ざらし。ゴミも散らかっている。労働の原動力を失ってしまったし、推しが出ないテレビ番組に彼女が視聴する意義はきっとない。

「推しは背骨」と述べた彼女の言葉通り、生きていくに必要なものがごっそりと抜けてしまった。この話は、推し活に燃える高校生が、その対象がいなくなってしまったことを嘆く話ではなく、推し活を通してなら「社会に求められる普通の人」の範疇にギリギリ引っかかっていられた人が、よすがを失ったことによって落っこちてしまった話だと私は思った。

あかりの「生きづらさ」を私は真に理解することはできないだろう。IQがとか診断がとかじゃなく、創作の中であろうとなかろうと、違う人間だから。
ただ、自分にとってもありえない道じゃなかったとは思う。今は推し以外の楽しみも(それこそ読書然り)見つけているけれど、いついなくなってしまうか保証のない他人に、体重のすべてを預けてしまうルートも、私の人生の中にはきっとあった。
そういう意味で、怖い話を読んだと思った。読んでよかった。


投げっぱなしの下書きがあると思うと勿体無いなと思って続きを書いてみたけれど、やっぱり一気に書く方が私には合ってる気がする。
また書きたいことができたらばーーーーっと綴っていこうかな。月一冊読書が目標なので、また読書感想文を書くこともあるかもしれない。

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