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カフェでジャーナリングをやってみた


 ジャーナリングというものを最初に知ったのは、モーニングページからだった。noteの記事をいくつも読み、ジュリア・キャメロン著の「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」も読んで、めちゃくちゃ自己流にアレンジして実践している。A4サイズのノートどころか、B6のメモパッドに3ページ。だいたい15分で時間を区切って、眠いと「ねむい むり」と書いて残りの時間をすべて二度寝に充てる。継続していると言えるか怪しいレベルで、週に二、三回くらい書けたら自分としては御の字と考えている。厳しくしすぎるとやりたくなくなるので、適度なところで。
 しかし、もうちょっと時間を掛けて書きたい気持ちもあった。朝の寝起きの、頭のフィルターが起動していない状態で垂れ流しのように書くというのも大事なのはわかるけれども、きちんと掘り下げて思考をしたいという思いが湧き出てきた。けれどテーマは? と問い掛けたら途端に自分の手が止まる。なにを書けばいいかわからずに、ずるずると「やりたい」のまま日が過ぎていった。


 そんな折、今日唐突にやってみたのは、職場の都合で急遽休みがやってきたので。通院以外の予定がなかったから、試しにカフェでも行って、ジャーナリングをしてみようかなと思いついた。家ではついつい色んなものに意識を持っていかれるので、外の方が捗りそうだしと、未使用のロルバーン(パンダ)(かわいい)とPLOTTER、それに付けているユニボールワンP、あとは最近読んでいる「ナナメの夕暮れ」を鞄に入れた。今回のジャーナリングのキッカケはこの本に強く同意したところがあり、自分もそこを掘り下げてみようと考えたからだ。
 朝からずっと雨。病院が終わった時にはちょうど昼時で、お店が混みそうな時間。面倒な気持ちが湧いてきて、なんとなく足が遠退く。いっそテイクアウトにして家に帰ろうかとうだうだ考えて、いや一度くらいやってみたいと思っていたし、カフェで手帳タイムというものになんとなく憧れがあるんだから、いつかやりたいなら今日やればいいと思い、行ってみた。結果的に、平日の昼間なのでお店は空いていたし、書きやすそうなテーブル席を陣取って、昼食を摂ってからジャーナリングに挑むことにした。
 30分のアラームを掛けて、まずは「ナナメの夕暮れ」に目を通す。印象的な文章を読み返して、ああそうだここに感銘を受けた、じゃあ自分はどうなんだろう……と、思考の旅に出ることにした。


 結果的に、30分では時間が足りなかった。ロルバーンのノートLサイズに3ページ、書きたくなって埋め切って、たぶん45分くらい。自分の中に死蔵されていてどこかに出したかった言葉が、こんなにたくさんあるとは思っていなかった。私はずっとなにかを考えているタイプの人間で、頭の中で声が止まない。集中していればそれを意識しないことはあるが、「主体の自分」と「脳内の自分」が会話しているようなイメージで、だいたい言葉が思考を巡っている。
 けれど、「巡っている」ものを「排出する」行為が足りていなかったんだと気づいた。頭の中に定着させられずに一度出した結論を忘れて、また同じことを考える。繰り返し考えていると、過程ばかりが頭に擦り込まれていく。そのほとんどが自己批判なので、ネガティブで自己肯定感がほとんど無いような人間になる。なっている。ひどい負のループだ。
 尊重とか寛容とか、人にはできているつもりでも自分にはできていない。他人に切るためのカードとして手札にはあるのに、自分のための選択肢にはなっていない。それを気づいたことが自分の、最近暖かくなって土から生えてきたつくしよりも低い自己肯定感。それを高めるための第一歩だと思う。他者から見たらそんなこと? と思われるようなことでも、「自分が」「成長したと感じる」ことが大事。きっと。


 自由に使うと決めたロルバーンはお気に入り。書きやすいボールペンと連れ歩きたくなるPLOTTER、それと好きな本。好きな文具を持ち歩くのは、それだけで楽しい。ひとりカフェに感じていたハードルや、ありもしない周囲の視線に対する引け目も、こんなにジャーナリングが捗るならまた行きたいと思うようになった。なんの予定もないはずの休日だったのに、お店を出る頃には「充実した日になった」と無意識に考えるほど満足度が高い。時間を作って、またやりたい。特に「ナナメの夕暮れ」は、きっと読み進めていくうちに「わかる! 私もこれを掘り下げよう!」という衝動に駆られることが、何度もありそうだ。

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