つづく

本屋の娘だから、かもしれない。
誰かから『本を贈られる』とたまらなく嬉しくなってしまう。

手渡されたその一冊が、書店の包装紙で丁寧にラッピングされた真新しい本であっても、びっしりと書き込みされている読み込まれた本であっても、同じくらい嬉しい。

更にそれが自分も持っている作品、しかも随分前に買って本棚に並べている見覚えのあるカバーだったりすると、いよいよもって泣きそうになってしまう。


最初にその現象が起きたのは大学生活最後の夏休みで、仙台に住む友人のアパートに遊びに行き
布団から抜け出せずにゴロついていた朝のことだった。
1DKの部屋を猛スピードで右往左往しながらアルバイトに行く支度を整えていた友人は
急に「あっ!そういえば」とその動きにブレーキをかけ、本棚から薄い文庫本を一冊取り出してきた。

「南が来たらあげようと思ってたの」
と彼女は言った。
持ってたの忘れて二冊買っちゃったから、と。

敷いたままの布団の上でまだぼんやりしていた私は
「えーありがとう!」
と腕だけ伸ばしてその一冊を受け取ると、やはり布団の上に伏せたままバタバタと出ていく彼女を「行ってらっしゃーい!」と視線だけで見送り、手渡されたその書籍をしばらく眺めていた。


———
『ハチ公の最後の恋人』
吉本ばなな
———

開けた窓から夏の朝の香りを含んだ風が入ってくる度、レースカーテンがゆっくりと揺れていた。
午前中はあまり光が入らない、と友人が嘆いていた部屋は夏の朝に限ってしまえばひんやりと心地よく

(あぁ、この本持ってるなぁ…)

と気づいた時の嬉しさと共に、いまだにあの夏の朝の気配を思い出すことが出来る。
友人がかけっぱなしにして出ていった
CAPSULEの”S.F. sound furniture”が流れていて、遠くで路線バスの停車アナウンスが聞こえた。
友人はあのバスに乗ったのだろうか。と意識の隅で考えながら、彼女が残していった一冊は独特の存在感と共に私の手中に奇妙なほどしっくりとおさまっていた。

地元の知り合いと、遠く離れた街で偶然会ったかのような感覚。更には今この瞬間を起点にして、この一冊と新たな関係を構築できるのではという予感付き。

なるほどこれが「邂逅」ってやつね、と使ったこともない単語を思い出しながら(顔には恐らく抑えきれなかったニヤつきを浮かべて)、夏の仙台、友人のアパートで、私は何度目かの『ハチ公の最後の恋人』を読み始めたのだった。

南が来たらあげようと思ってたの、
と家主不在の部屋に私と私に手渡した本を残し仙台の街に駆けて行った友人とは、今はもう会うことが叶わなくなってしまった。

それでも、まだ手元に残っているこの一冊がタイムカプセルのようにあの朝の記憶を今に繋いでくれている気がする。
良いことも悪いことも、なんでもかんでもすぐに忘れてしまう私なのに、どんなメモより鮮明な思い出保存機能がこの「邂逅本シリーズ(今名付けた)」にはついている。

二度目ましての本にはそんな魔法みたいな仕掛けが
付与されることを知っているので
出会うたびあまりの嬉しさにいつも泣きそうになる。
なるけれど、ここで泣いたら絶対に情緒の乱れを心配されてしまう!!…ということも分かっているので、ものすごく我慢する。
結果、
「えー、ありがとうー。」
みたいな、ものすごく単調なリアクションになってしまうのだけど
得てしてこの邂逅を授けてくれる人たちは、なぜか揃ってそんなことはあまり気にしていない。あげたら終わり、みたいなさらりとした温度で、とっとと先に駆けて行ってしまう。


さて、昨晩久しぶりにこの【邂逅】が起きた。

———
『そして生活はつづく』
星野源
———

お好み焼きの匂いがしていた。
ソースの香りと、鉄板からたちのぼる煙と、店員さんの威勢のいい声。
土曜夜の大阪、賑わう街の渦中にいながら、昨晩の私は寝不足が祟って随分とぼんやりしていたのではないかと思う。
そんな中、友人が肩から無造作に下げていたサコッシュの中から、一冊の文庫本がにょきりと差し出されたのだった。

なぜか二冊あったから。
友人は言った。

あぁこの流れ知ってるなぁ…と思いながら、いつだったか隣に座る友人と「思い出」について話した夜があったことに思いを馳せていた。
夏の二月堂。夜。
思い出について話した思い出を、この人は覚えているだろうか。いや全然覚えてないかも。
なぜなら、忘却機能も含めてこの人は私とずいぶん似ているのだ。

…などと関係のない思案を巡らせたことも、
10年後20年後、この文庫本がふらりと本棚から現れて、昨晩の気配全部にしれっと繋げてくれる日がきっとやってくる。

それまで、私はもう少し全力でジタバタしなければいけない気がしている。
ジタバタしてるなぁ…こんな大人でいいのかなぁ……と思っているところに、ジタバタを楽しむ星野先輩のエッセイが向こうからやってきたのだから、まったく参ってしまう。

各種料金の支払いも、
部屋探しも、
あれやこれやに振り回され
時に邂逅に突き動かされたりしながら

そして生活はつづく。
たぶん。

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