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37.カノッサの屈辱

①教会システムの立て直し

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人が変われば、組織が変わる。

聖書の読める人を、キリスト教を知っている人が教会の仕事をしなければならない。

クリュニー修道院では、厳格なカトリックの坊さんを育成した。

結婚はもちろん、聖職売買などもってのほか。

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②クリュニー修道院出身の教皇

やがて、そんなクリュニー修道院から教皇が選出された。

グレゴリウス7世だ。彼は言う。

「坊主の任命権は教皇にある。皇帝は引っ込んでおれ。」

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③抵抗する皇帝

当然、皇帝は教皇に反発する。任命権を取られては身内を坊主にして領土拡大をはかれないからだ。

皇帝「教皇領にせめいる!馬をもてい!」

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イタリアに攻め込んだ皇帝ハインリヒ4世。なんとか逃げた教皇グレゴリウス7世は逃げた先でこういった。

教皇「ハインリヒ4世を破門する・・・。」

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④破門されると人生終了?

 当時の人々には破門はメテオ並の破壊力を持っていた。

キリスト教社会からの断絶を意味するからだ。破門された者との関係は全てなかったことになる。家臣はいなくなり、親族からは離され、孤独を味わうこととなるのだ。そして一人で死んでいくのだ。

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ハインリヒ4世はさすがに驚いた。

「教皇よ。そこまでするか?」

⑤カノッサの屈辱(1077)

皇帝ハインリヒ4世は教皇のいるカノッサ城へ。

皇帝「私が悪かったです。教皇様、許してください。」

教皇「・・・。」

雪の中、皇帝は3日間、門の前で許しを乞いた。

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これで、教皇と皇帝、どちらの立場が上かはっきりした。

⑥ヴォルムス協約(1122)

 叙任権闘争に完全に決着がついたのは1122年。

ヴォルムスの地で、会議が持たれた。

話し合われた内容は以下の通り。

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