80.七年戦争
①外交革命
オーストリア継承戦争での苦い経験を拭おうとマリア=テレジア。プロイセンを叩くためにプライドをかなぐりすてる。
フランスに使者を送る。プロイセンがドイツを統一すればフランスに脅威になる旨を必死に伝える。
ブルボン家ルイ15世は度重なる戦争で犬猿の仲であるハプスブルク家からの使者に耳を傾ける。そして手を組むことを決意。
これが外交革命である。まだマリア=テレジアは終わらない。
ロシアにも使者を送る。もしプロイセンがドイツを統一すれば北海やバルト海に影響力を行使してくるため、ロシアの脅威になる。今のうちに叩いておくように迫る。
ロマノフ家エリザヴェータは承諾した。こうしてプロイセン包囲網が完成した。
②7年戦争
プロイセンが囲まれ、ボコボコになる。ベルリンの手前まで各軍が迫る。もう少しでプロイセンは滅んでしまう。フリードリヒ2世は覚悟した。
ここで急報。
エリザヴェータが死去。次の王ピョートル3世はプロイセン大好きで尊敬すらしていた。戦争から離脱するロシア。
フランスも戦費を使いすぎ、そのまま撤退を開始。同じブルボン家のスペインも足並みを揃える。
助かったプロイセン。
これが七年戦争。
ちなみにイギリスは新大陸でのフランスとの戦いのため、プロイセンの側につくが、イギリスは新大陸に力に入れており、戦力にならなかった。
ピョートル3世の決断がヨーロッパの歴史を変えた。
③ポーランド分割
ポーランド。プロイセンやロシアなどに吸収されていた。ポーランドの貴族が自国の影響力を強めるためにロシアに接近。そしてロシアは貴族を懐柔し、ロシアに併合した。この方法は周辺国も真似してプロイセンも次々にポーランドの貴族を取り込んでいく。
オーストリアのマリア=テレジアもロシアの動向を注視していたが、あまりに卑怯な方法にマリア=テレジアはやらなかった。
しかし、マリア=テレジアが死ぬと、後継者が速攻でやるのだが・・・。
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