27.教義の確立
①イエスの存在の定義
イエスはゴルゴタの丘で十字架にかけられた時、天を仰いで言った。
ここで疑問が残る。
イエスは神なのか?人間なのか?
イエスは神となったと皆、口を揃えていう。しかし、それではヤハウェとイエスの神が二人になってしまう。この説明をつけないかぎり、ユダヤ教にも認められず、宗教として布教することもままならない。
②派閥の出現
争点になったのは以下の2点。
「イエスは神か人間か」
「母マリアは神の母か、人間か。」
③正統な派閥はどこか?
教義のすり合わせ会議が始まった。公会議だ。
初めはニケーアで行われた公会議。
お題「イエスは神か人間か?」
アリウス派「イエスは人間である!」
アリウス派以外「イエスは神である!」
アリウス派は北ヨーロッパに逃げていく。そこでゲルマン人たちに布教していく。ちなみにゲルマン人はこの後、ローマに侵攻していく。
次はエフェソスで行われた公会議
お題「聖母マリアは神の母か、人間か?」
ネストリウス派「マリアは人間だ!」
ネストリウス派以外「マリアは神の母だ!」
ネストリウス派は東に逃げていった。中東からさらに東へいき、中国で景教として広まる。
最後はカルケドンで行われた公会議。
お題「イエスに肉体はあったか?」
アタナシウス派「イエスの肉体は存在する!」
単性説「イエスの肉体はない。」
単性説は南へ逃げていった・・・。
エジプトを中心に広まり、コプト教徒呼ばれた。
④アタナシウス派の教義
神はなんでもできる。だから変身すらできる。人間の姿でも精霊の姿でも神の姿も自由自在に。マリアのお腹に入って小さくなったのは精霊の姿だった。
これが三位一体説という。
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